
日本の沖縄科学技術大学院大学(OIST)とイギリスのケンブリッジ大学(Cambridge)で行われた研究によって、宇宙の「時間」や「始まり」を、別の宇宙の解像度に翻訳して扱える可能性が示されました。
研究では三次元の宇宙の「時間の進み」をホログラフィック原理が描く二次元的な境界世界の解像度の方程式に書き直すことに成功しています。
こっち側の宇宙では「時間の始まり」や「インフレーション」は難問ですが、あっち側の宇宙の解像度の方程式として理解を進めていくことで、別角度からの理解がと期待されています。
研究内容の詳細は2025年11月14日に『arXiv』にて発表されました。
目次
- 一番わからない時間を「別の言語」に翻訳できるかもしれない
- 時間がない世界から時間を取り出す計画
一番わからない時間を「別の言語」に翻訳できるかもしれない

時間というものは、妙に当たり前の顔をしています。
朝、目覚まし時計を止めた瞬間も、電車が発車する瞬間も、時間は何食わぬ顔で前へ進みます。
けれど「そもそも時間とは何か」「時間には始まりがあるのか」と聞かれた途端、足元の床が抜けたように心許なくなります。
ビッグバンで時間が始まったと言われますが、「時間が始まる前」を考えるのは不思議で難しい問題です。
実際、ビッグバンの瞬間は特に一般相対論などの枠内では計算が破綻してしまい、科学にとって長らく手つかずの難問として残されてきました。
この謎に挑むため、科学者たちはさまざまな仮説を提案してきました。
たとえば時間問題に正面突破を試みた「無境界仮説」(宇宙に始まりの端がないと考える説)では、宇宙に最初の境界がないと考えることで「その前」という問い自体をなくそうとしました。
しかし物理学では近年、正面から殴り合う代わりに別の理論が立ち上がりつつあります。
その代表がホログラフィック原理です。
ホログラフィック原理では、いつも二つの世界が登場します。
ひとつは「こっち側」の世界。
時間が流れ、重力がはたらき、銀河やブラックホールがうごめく、三次元的な私たちの宇宙です。
もうひとつはその三次元を覆う表面のようなもの(境界)にある「あっち側」の世界。
高次元の重力は直接は登場せず、ただ平らな空間のうえで量子場がざわめいているだけの、境界の世界です。
ホログラフィーは、この二つが“同じ物語の別訳”だと言います。
同じ映画を日本語吹き替えで見るか、英語字幕で見るかの違いのように、こっち側の宇宙とあっち側の量子論は、一対一で対応していると考えられています。
つまり宇宙の出来事を、「こっち側(奥行きのある世界)」の宇宙の言葉ではなく「あっち側(境界の世界)」の宇宙の言葉で書き直せるわけです。
ここで面白いのは、それぞれの世界で「根源的な問い」が微妙にズレていることです。
こっち側では、「時間の始まり」が最大級の謎になります。
ビッグバンは本当に“最初”だったのか、時間の前に「何か」はあったのか、それともそんな風に時間に“前後”を問うこと自体が間違っているのか?
その答えは「こっち側」の宇宙の方程式で突き詰めても容易に答えは出てきません。
しかし面白いことに「あっち側」の世界にはそもそも時間という軸は最初から与えられていません。
かわりにあるのは、「どれくらい細かい目で世界を見るか」という宇宙の解像度のダイヤルです。
顕微鏡の倍率を上げたり下げたりするイメージに近いものです。
そのダイヤルを回すと、量子論のルールの見かけが少しずつ変わっていきます。
「そんなことはあり得ない」と言う意見もあるでしょう。
ですがホログラフィック原理はただの妄想ではありません。
この「境界で宇宙を表す」というホログラフィーはブラックホール研究などで大きな成果を上げ、宇宙そのものにも応用できるのではと期待されています。
実際、我々の宇宙も地平線(これ以上先が見通せない境界のようなもの)があると考えられていて、その振る舞いは「デ・ジッター空間(加速膨張する宇宙の理想モデル)」と呼ばれる理想化モデルにわりと似ています。
デ・ジッター空間には、ある意味で「これ以上先を見通せない果て(境界のようなもの)」が現れます。
これはホログラフィック原理の想定と相性が良いと考えられます。
そこで今回ケンブリッジ大学やOIST(沖縄科学技術大学院大学)などの研究者たちは私たちの宇宙(こっち側)で理解が困難な「時間」をあっち側の解像度としての言葉でなら上手く記述できるのではないか?と考え、検証することにしました。
もしこの試みが成功すれば、宇宙誕生やインフレーションといった謎を、世界の解像度という比較的わかりやすい別の角度から読み解けるかもしれません。
ですが、本当にそんな大胆なことが可能なのでしょうか?
時間がない世界から時間を取り出す計画

こっち側の言葉とあっち側の言葉を上手く結び付けられるのか?
研究チームは理論計算によってこの考えを検証しました。
宇宙の時空にある重力と物質の情報を、境界世界に対応する形に書き換え、それに対応する境界世界での方程式を設定したのです。
そして、境界側と宇宙側でそれぞれ物理量を計算し、その結果が一致するかを確かめました。
先に述べたように、こっち側(宇宙側)とあっち側(境界側)で、同じ種類の「揺らぎの統計」を別々に計算し、答え合わせをしたのです。
(※このとき境界側の理論はハミルトニアン制約(重力理論で時空の取り方を縛る基本方程式)を満たすように組まれます。その結果、こっち側(宇宙側)の「時間の進み」が、あっち側(境界側)では「解析尺度の変化」として表れる形になります。研究チームは、この対応づけの上で理論がちゃんと動くか検証しました。)
その結果、場のゆらぎどうしの相関といった基本的な値が、宇宙側で求めた場合と境界側の理論で求めた場合でピタリと一致しました。
この結果が示す意味は何でしょうか?
一言でいえば、理論モデルの範囲では、「こっち側(宇宙側)の時間を、あっち側(境界側)の解像度の理論で再現できた」ことを意味します。
(※より具体的には、あっち側(境界側)の解析尺度を変化させる操作(RGフロー(スケールの流れ))が、こっち側(宇宙側)では時間が経過することに相当しました。)
あえて映画館のスクリーンでたとえるなら、スクリーン(境界)を見る細かさを変えることが、宇宙側では時間が進むことに対応すると示したのです。
宇宙の出来事を境界の量子状態の方程式として扱えることが、理論計算上とはいえ確認された意義は大きいでしょう。
コラム:時間を解像度として扱えると何が美味しいのか?
この論文がやっているのは、時間を正面から説明するのではなく、解像度を変えたときの理論の変化という、比較的つかみやすい「操作の言葉」に翻訳してしまうことです。
この翻訳によって、いちばん“美味しい”のは、これまで手がかりが少なすぎた根源問題を、手触りのある計算問題に変換できる点です。時間は私たちにとって最も身近なのに、いざ「時間とは何か」「なぜ前に進むのか」「始まりはどういう意味か」と問うと、話が途端に空中戦になります。
ところが解像度の話なら、顕微鏡の倍率を上げ下げしたり、画像を粗くまとめたり細かく分解したりする直感が使えます。理論物理では、この「見方の粗さを変えると、ルールの見え方がどう変わるか」を体系的に追う道具がすでに育っていて、その代表がRGフロー(スケールを変えたときの理論の変化の流れ)です。
時間の謎を“時間の言葉”で追いかけるのを一度やめて、“解像度の言葉”に翻訳してから攻め直す、という作戦になります。決して容易い道ではありませんが、少なくとも“同じ山”を登るための目に見える別ルートが手に入ります。
もう一つの美味しさは、検算(フィードバックに近いもの)ができる点です。ここで言うフィードバックは「現実の宇宙の時間をつまみで回す」という意味ではありません。そうではなく、「同じ量(ゆらぎの統計など)を、宇宙側の言語と境界側の言語でそれぞれ計算して、答えが一致するかで理論を締め上げる」という意味です。この論文でも、境界理論側の“流れ(フロー)”の計算から相関関数を出し、宇宙側の計算と突き合わせる、という姿勢が前面に出ています。これはまさに、「翻訳がうまく働くなら、検算できる場面を増やしていく」という研究戦略の宣言です。
(※さらに著者らは、対応を強める次の一手として、2点関数だけでなく高次(3点関数など)の波動関数係数も同じ流れの計算から回収すること、閉じた空間スライスや一般のFLRW宇宙(私たちの宇宙に近い膨張宇宙モデル)への拡張、1/N補正(理論をより精密にする補正)の取り込みなどを、具体的な「今後の方向」として挙げています。)
そして三つ目の美味しさは、概念の交通整理です。「時間の向き」や「なぜこの宇宙はこうなのか」という“説明の流れ”を、境界側の流れとして整理し直せるかもしれない、という話です。もちろん、これは完成された理論ではありません。しかし「時間=解像度」という翻訳が美味しいのは、こうした根源的な問いが、少なくとも“議論の土俵”としては整い、次に何を確かめればよいかが具体化する点にあります。
これは宇宙の始まりやインフレーションの謎に新たなアプローチを提供する重要な一歩といえます。
今後、このアプローチが進展すれば、「時間の始まり」という問いに対しても数式でアプローチすることが可能になるかもしれません。
誰も見たことのないビッグバン直後の様子や、インフレーションの詳細な仕組みを、境界世界の理論計算から読み解けるようになる未来も考えられます。
もしかしたら未来の世界では、「時間とは何か」という問いが、時計の前後を想像するのではなく、「境界の理論はどんな形に落ち着くのか」と考えるのが当たり前になるのかもしれません。
地球が平面と思われていた時に人々は地球の端について「答えの出ない悩み」を抱えていましたが、地球が球体という新たな視点を得ると、既存の問い方そのものが時代遅れになります。
そのとき、私たちが当たり前だと思っていた「時間」という言葉自体が、少し違う色で見えてくるはずです。
元論文
Holographic Cosmology at Finite Time
https://doi.org/10.48550/arXiv.2511.04511
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部

