第38回東京国際映画祭 Nippon Cinema Now 部門 公式出品作品、エリザベス宮地監督が、THE YELLOW MONKEYのボーカル 吉井和哉さんに密着したドキュメンタリー映画『みらいのうた』が公開中です。
本作は、THE YELLOW MONKEYのボーカル・吉井和哉さんに、エリザベス宮地監督が3年以上にわたり密着した人生と音楽のドキュメンタリー映画。吉井さんは、自身のミュージシャン人生の原点であるURGH POLICEボーカルEROさんとの40年ぶりのセッションを約束する。しかし、ドキュメンタリー撮影開始後に吉井さん自身が喉頭がんであることが発覚。闘病と自身のライブリハーサルを続け、東京ドームライブの"復活の日"を迎える。そしてその数か月後、吉井さんはEROさんとの約束を果たすため静岡へ向かい、40年ぶりのセッションの日を迎える――。
吉井和哉さんご本人にお話を伺いました。
――素晴らしい映画をありがとうございました。完成した作品をご覧になって率直にどう感じましたか?
僕はミュージシャンですけれど、何だかこの映画を作るためにミュージシャンとして成功したんじゃないかなというぐらい、自分にとって人生の代表作だと思いました。こんなにもこれまでの出来事のつじつまが合うのかと思うぐらい、自分の人生が映画化されていて。。当初はタイトルも決まっていなかったのですが、最後の最後にタイトルもエンドロールの曲も『みらいのうた』に決まったんです。この曲はEROの歌でもあるし、観ている方のそれぞれの歌でもあるし、“過去はメロディになるから”と歌っていて…この曲、このタイトル以外ないなと思っています。
――ご自身に密着した作品ということで、なかなか客観視出来ない部分もあったかと思うのですが、いかがでしょうか。
ドキュメンタリーってハプニングがないと面白くないじゃないですか(笑)。だから、撮影中は何かハプニングが起きるたびに「よしっ!」みたいな気持ちにもなったんです。がんもお医者さんに「治る」と言われていたので、安心してちゃんと治療を進めていて、そんなにシリアスになることも無かったので。撮影の時期が、占いで「50年に1度のラッキーイヤー」と言われていて、がんになっているし、どこがやねんって思いましたけど(苦笑)、今思い返せばラッキーですよね。こんなにすごい映画が撮れたんですから。
撮影の途中から自分が“吉井和哉役”を演じていたような錯覚に陥ることもありました。「あなたはロックスターになります。50代後半になって、喉頭がんになります。東京ドームを目指します。そしてあなたを音楽の世界に導いたEROさんと40年越しのライブを目指します」っていうすごい3年間だったので。
――東京国際映画祭での上映がありましたが、ご覧になった方の反響などは感じられていますか?
THE YELLOW MONKEYのファンはみんな真面目なので、ネタバレを避けて何も感想を書いていない(笑)。これから公開されて、みんなの感想を見られることが楽しみですね。EROが映画を観てすごく喜んでいて。EROって「優しい男なんてクソくらえ」っていうのがスローガンなんですが(笑)、そんなEROが、僕にすごく優しい言葉を言ってくれたんですよ。「実は俺はお前を初めて見た時に、王子様だと思ったんだ」とか(笑)。何か気持ち悪いなと思ったけど、嬉しかったです。
――宮地監督との出会いはどの様な印象でしたか?
初めて宮地くんと会ったのは事務所で。その後は全部LINEでやりとりをしていて、最初の撮影は僕が静岡駅に迎えにいって、1泊2日で撮影をしました。同級生の所に行ったり、母親の所に行ったり、結構当日にアポをとるんですよ。それが出来る宮地くんがすごいし、良くも悪くも変態だなと(笑)。カメラを絶対に離さない。一緒にいる時は絶対にカメラが回っていて、宮地くんは僕と一緒に同じものを一緒に見たいと思ってくれていて、宮地くんの中に僕が入ってるような瞬間もあるし、宮地くんと一体化してるような瞬間がありました。一心同体で。
静岡の撮影で語ってくれたみんな、THE YELLOW MONKEYのメンバーも、今の吉井和哉をつないでくれている人たちで、そんな嘘のない関係性の場所を、そのまま宮地くんに撮って欲しくて。だからこそ、出来上がったものも嘘をついていないし、自然につながっているんだと思います。
――EROさんの登場シーンを観てどう感じられましたか?
「やっぱり、この人かっこいいな」と思いました。問題児ですけど(笑)、僕の師匠だし、反面教師でもある。EROが病気にならなかったら、この映画はなかったと思うから、運命の皮肉さは感じていますけどね。
――EROさんといる時の吉井さんのリラックスした雰囲気がとても印象的でした。
そうそう。「EROさんのお父さんみたい」とか、「弟みたい」とか言われたりすることもあって。僕は兄弟がいないし、EROと出会った時にすごく彼のことを慕って、ほぼ毎日彼の家に遊びに行っていたから、本当に兄貴みたいな存在なんです。それでいて放っておけないし、心配になるし、ずっと気になってしまう存在で。
すごく頑固だし、自分がやりたくないことは本当にやらないから、何かお願いするにも大変なんですよ(笑)。今回のセッションをお願いする時も、最初どうかな?と思ってたんだけど、EROが「俺もね、それが生きがいになる」って言ってくれたから、「そんなこと言うんだ」と結構驚きました。
――とても感慨深いお言葉ですね…!吉井さんもEROさんも“かっこいい”大人だなあと観ながら感動していました。
60代のEROを通じて俯瞰して物事を見ていると、「このぐらいの年代の人は何でこんなにもロックに夢中になって、どういう日本を生きてきたのか」という、現代につながる背景が見えてくると感じました。
「ロック」の行いって、コンプライアンスに引っかかるものが多いから、やっぱり現代だとすごく取り扱いが難しいものだと思います。ロックって本当に危険物で扱い方を間違えると死を招くし、怪我するし、人を傷つけるし…。だから、ロックをやる人って、やっぱり普通の人間じゃない、どこかおかしい人なんですよね。この映画では、そういう人が「年を取ったらこうなりました」っていう部分もさらけ出されているから、「ロックによっておかしくなった人は、今の時代どうやって生きていけばいいんですか」って問いかけにもなっていると思う。
今の時代はあまり「ロックっぽい」「ロックはかっこいい」ってことに夢を持たないから、ちょっと寂しくもありますけど、僕自身はいい時代にロックできたなって思います。この映画って、僕ら昭和、平成を生きてきたロックミュージシャンの今がすごく描かれているんですよね。人は誰でもやっぱり一寸先は闇で、「ハンカチ落としのように人が死んでく」って映画の中で僕が話しているのですが、同世代のミュージシャンがどんどん亡くなった時でもあったから、何か一つの時代が切り替わるところ、逆に永遠に切り替わらないところも映し出されているんじゃないかなと思います。
――吉井さんに憧れて、影響を受けて音楽を始めた方がたくさんいますが、吉井さんは若い世代から刺激を受けることもありますか?
受けまくりですね。刺激がありすぎて。若い世代と真っ向勝負しようと思うとなかなか難しいけれど、一緒に作品を作ったり、関わることが出来ることが楽しいですね。
これは映画でも語っていますが、みんなそれぞれ若い時があって、中年、高齢になっていく。どんな人もみんな平等だと思うんですよ。僕もそうだったけれど、若い人って元気だから、年寄りがどんな助言をしたって聞かないと思うんだけど、年を取ったらこういう道も待っているから、それだけは覚えておいてほしい。若いうちに、元気なうちに、やりたいことを悔いのないようにやってこそ、『みらいのうた』が響くはずだから。元気のあるうちにやりたい事をとにかくやってください、と思っています。
――素敵なお言葉をありがとうございます。最後に、吉井さんは今何をしている時が楽しかったり、気分転換出来ますか?
映画にも関係してくるのだけど、静岡に行くとリフレッシュ出来ますね。ドライブがてら行くのが好きで、多い時は3ヶ月に一度くらいは訪れています。僕は焼津で生まれて、母の体調が回復するまで、海のすぐそばで育ったんです。でも父親が亡くなったりして、悲しい過去だから、僕にとってはあまり行きたくないちょっと恐い場所でもありました。
でも、ある日というか、この映画を撮り始めたぐらいからかな、ここが自分のパワースポットだと思うようになった。行くと安心するし、心地良いし、パワーが得られる気がするんです。映画のエンドロールで海が大きく映されていくシーンを観た時に、改めて自分の大切な場所だなと思いました。みんなにもふるさとってあるじゃないですか。そういう場所って大切だし、生まれた場所に行くと、いつかは終わる人生、色々やってみようと思える。良い時間になっています。
――今日は楽しいお話をどうもありがとうございました。
写真:横山マサト
ヘアメイク:Cana Imai
スタイリスト:Shohei Kashima(W)
みらいのうた
全国公開中
©2025「みらいのうた」製作委員会
配給:murmur 配給協力:ティ・ジョイ
