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「風邪ですね」で見過ごされた危険信号──26歳で希少疾患・慢性活動性EBウイルス感染症と闘った拓也さん、母に語った最後の言葉

「風邪ですね」で見過ごされた危険信号──26歳で希少疾患・慢性活動性EBウイルス感染症と闘った拓也さん、母に語った最後の言葉

医師が突き付けた“最期”

このころから、血球の数値が上がらなくなってきた。「どうしても、外泊のあとの肺炎さえなければ、と思ってしまうんです」と母親は俯いた。時間軸が前後するが、2024年10月に母親は20年間勤めてきた会社を辞めた。「拓也のそばにいたい」。それは親としてできる精一杯だった。

だが翌2025年4月にふたたび肺炎がぶり返すと、人工呼吸器をつけなければならないところまで状態が下がった。看護師から「人工呼吸器を取り付けるまで、もう10分くらいはお話ができますから、話してください」と言われ、母親は拓也さんの手を握った。

このとき「頑張って治療するから」と意欲を見せる息子の姿が脳裏に焼き付いているという。肺炎になって以来、拓也さんが心に誓った「絶対治す」は少しも揺らいでいなかった。

一方で、2025年5月、母親には忘れられない光景がある。

「ちょっとしたアザも膿んだようになってしまって、『こんなに回復できない身体になっているんだ』と胸騒ぎがしました。痰にも血液が混ざり、拓也の身体が悲鳴をあげているのが目に見えてわかりました」

その後も拓也さんの状態は落ち込んでは持ち直し、だが確実に限界を迎えていた。8月24日、自力でトイレに行こうとした拓也さんは転倒し、さらに肺炎が悪化。

翌日、医師から“最期”についての提案があった。母親は人工呼吸によって肺を休ませることで、回復の見込みがあるのではないかと提案したが、医師からは緩和ケアを勧められた。

「できる治療はすべてやりました」。医師の言葉を聞き、突きつけられた未来と現実に、これまで母親の前では泣くことのなかった拓也さんが声を上げて泣いた。

「拓也は最後の最後まで、治療を決して諦めませんでした。『絶対に治す』と約束したからです。そして私に、『もう人工呼吸はしないよ、ごめんね……』と泣きながら繰り返したんです」

緩和ケアに切り替えると、拓也さんは眠る時間が長くなった。友人を病室に入れることが許可されたが、予想以上に訪れる人数が多く、途中で親族のみと制限された。

拓也さんが残したメッセージ

8月31日、拓也さんは深い眠りについた。

「拓也が病気になって、神様なんていないと思いました。けれども、拓也が絶望的な気持ちですごす時間が短かったこと、そして最期に親族や友人に会えたことは、神様がくれたご褒美だったのかもしれません。それでも、悲しいです」

拓也さんの死後、仲のいい友人や先輩たちが彼を偲んで自宅にやってきた。母親が記した闘病記を読み、「こんなに苦しいときに、何でもないように『お誕生日おめでとう』ってLINEをくれていたんだ」と驚く友人もいた。

何人もの看護師から「これほど『ありがとう』を言ってくれる患者さんも珍しいです。ご自身がつらいのに、いらだつ気配もなく、いつも穏やかでした」と聞いた。異口同音に発せられる、拓也さんの根っこの優しさ。母親にも、思い当たる節がある。

「亡くなったあとに拓也からのメッセージが見つかりました。私、主人、次男のそれぞれに宛てたものです。主人と次男の両方に、『お母さんをよろしく』とありました。死と隣り合わせの状況で、私を心配してくれていたんですね」

拓也さんの生き様を通して、母親として伝えたいことがある。

「慢性活動性EBウイルス感染症という病気がどのようなものか、知る人が増えてほしいんです。そして、ひとりでも多くの患者さんが適切な医療につながることができ、治療法について研究する人が増えてほしいと考えています」

闘病中、拓也さんは言った。「病気が治ったら、結婚式でお母さんにサプライズをするからね」。そのうれしい企みが何か、母親はついぞ知ることはできなかった。

希少疾患に苦しむ人が少なくなりますように――拓也さんも願ったであろうその思いを、今度は母親が引き継ぐ。待ち望んだ社会を少しでも早く引き寄せて、拓也さんへの逆サプライズになる日を目指して。

取材・文/黒島暁生 写真/拓也さんの母提供

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