日中関係で憂慮していることがある。せっかく高市政権になり、菅・岸田・石破政権と続いてきた「媚中」から脱却しなければならず、かつ脱却できるはずなのに、外務省事務方が追い付けていない感じがするからだ。
いい変化の兆しはある。「岸破」外交時代、中国が如何に不埒な所作に出ようが、外務大臣も次官も「遺憾」と力なく繰り返すだけで、駐日中国大使を外務省に呼び出して厳正に抗議することなど、決してやろうとしなかった。日本の排他的経済水域に弾道ミサイルを5発も撃ち込まれた時も、日本各地の水産物を全面禁輸された時も、10歳の日本人児童が白昼、母親の前で惨殺された時も、全てそうだった。
ところが最近では、呉江浩駐日中国大使は温和な船越健裕外務次官から、二度にわたって呼びつけられた。漸く世界標準の外交を行おうという姿勢が垣間見えてきたのだ。
慎重居士で知られる金杉憲治駐中国大使も、香港テレビ局のインタビューに出演し、日本の立場を説明するようになった。新聞はまだしも、テレビ、特に生放送のそれに対しては危険回避本能が強く働いて、逃げ回ってきたのが大方の外務官僚だ。しっかりと対外発信をしようという姿勢の表れであるのならば、歓迎すべき進展だ。
だが、変化はそこまでにとどまっている。そもそも今回の一連の問題の根源は、薛剣駐大阪総領事の暴言にある。高市答弁は至極当然のことを述べたまでで、約10年前の平和安保法制導入の際から何度も説明されてきたことだからだ。
そうであれば、焦点を高市答弁に絞って論点ずらしを試みている中国側に対し、しっかり反論しなくてはならない。ところがその反論が後手に回っており、かつ、誠にひ弱い。一発レッドカードの言動をした薛剣をぺルソナ・ノン・グラータとして国外追放しておけば問題の所在は明確になり、また、ここまで尾を引かなかっただろう。
しかるに、例によって事態の鎮静化を近視眼的に追及するがあまり、「高市答弁の是非」という相手の土俵に引きずり込まれて相撲をとらされているのが実態だ。
金井正彰アジア大洋州局長の訪中など、その最たる象徴だろう。不用意なボディーランゲージについての批判は繰り返さないが、国際社会に流布された、首を垂れた力ない姿の画像が情報戦・認知戦で中国側に最大限利用されたことに、議論の余地はない。
これに輪をかけた失態が、金杉大使インタビューだ。中国側に情報戦を仕掛けられているという意識のかけらも持ち併せていないのか、ナイーブなまでに中国との「対話」を求める発言に終始した。
なぜ外務官僚はここまで喧嘩下手で情けないのか。全国各地で公演をするたびに、多くの国民から問われてきた。
結論を言えば、対外発信をする官僚側の「問題意識の希薄さ」と「訓練不足」だろう。
前者については、個々の当事者の歴史観、国家観、外交センスにもかかわる話だが、いかなる時も「足して二で割る」外交を追求し、事なかれ主義に終始してきたのでは、情報戦に臨む戦闘能力を培うことなど土台、無理だ。本件対応をめぐっては、あれだけグラス駐日米国大使が活発に日本擁護の発信をしてくれているのに対し、肝心の日本の駐米大使には全く存在感がない。一体、この対比は何なのか。
後者の訓練不足については、近年の外務省幹部が大使もやらないままに局長、次官といった本省の高位に登用されてきた人事のマイナスは覆いようがない。外務官僚として政治家の黒子に終始するだけでなく、在外公館で日の丸を背負い、一挙手一投足が任国の注目を浴びる大使ポストを経験して場数を踏んでさえいれば、はるかにまともなパフォーマンスができたことは間違いない。
国民の圧倒的な支持を得ている高市政権。精強な外交を展開する格好の機会だ。それだけに、日本外交の先兵たる職業外交官には、水を得た魚のように自由闊達に泳いでほしいものである。
●プロフィール
やまがみ・しんご 前駐オーストラリア特命全権大使。1961年、東京都生まれ。東京大学法学部卒業後、84年に外務省入省。コロンビア大学大学院留学を経て、ワシントン、香港、ジュネーブで在勤。北米二課長、条約課長の後、2007年に茨城県警本部警務部長を経て、09年に在英国日本国大使館政務担当公使、日本国際問題研究所所長代行、17年に国際情報統括官、経済局長を歴任。20年に駐豪大使に就任し、23年末に退官。同志社大学特別客員教授等を務めつつ、外交評論家として活動中。著書に「中国『戦狼外交』と闘う」「日本外交の劣化:再生への道」(いずれも文藝春秋社)、「国家衰退を招いた日本外交の闇」(徳間書店)、「媚中 その驚愕の『真実』」(ワック)、「官民軍インテリジェンス」(ワニブックス)、「拝米という病」(ワック)などがある。

