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“耳につけないイヤリング”起業した中学生社長の素顔「あだ名の『社長』は愛称として受け止めています(笑)」【2025 ビジネス記事 5位】

“耳につけないイヤリング”起業した中学生社長の素顔「あだ名の『社長』は愛称として受け止めています(笑)」【2025 ビジネス記事 5位】

2025年度(1月~12月)に反響の大きかったビジネス記事ベスト5をお届けする。第5位は、名古屋グランパスやオタフクソースとのコラボでも話題となった「耳につけないイヤリング」で起業した中学生を取材した記事だった(初公開日:2025年6月21日)。

 

小学校5年生で特許を取得し、翌年には自身の会社『株式会社マイヤリングス』を設立——そんな並外れた経歴を持つのが、現在中学3年生の水野舞さんだ。耳につけない新しい形のイヤリング『マイヤリング®』は、彼女自身の幼少期の闘病生活が制作背景にあったという。特許取得に至るまでのプロセスから、学生と社長を両立する日々、そして入院中の子どもたちへの社会貢献活動まで……。その素顔に迫った。 

8歳の衝動から生まれた「耳につけないイヤリング」

――水野さんは、小学5年生のときに「耳につけないイヤリング」を発明し、翌年には特許も取得され現在では、サッカーJ1の名古屋グランパスや、オタフクソース(広島)とのコラボも話題ですが、そもそも、どんなきっかけで生まれたアイデアだったのでしょうか?

水野舞(以下、同) 私は先天性胆道閉鎖症という病気で、生まれてから4歳頃まで入退院を繰り返していました。病院のベッドの上でできることは限られていて、毎日が退屈で……。

そんなある日、同じ病棟の少し年上の子がマスキングテープで何かを作っていたんです。それを見て「楽しそう!」と思って、私も工作にハマりました。そこから物づくりが大好きになったんです。

ピアスやイヤリングに興味を持ったのは、ちょうどその頃。「お母さんとおそろいのピアスをつけてみたい」と思ったのですが、当時の私にはピアスの穴を開けるのは怖いし、イヤリングは痛くてつけられなかった。それなら、「自分につけられるアクセサリーを作っちゃおう!」と、小学2年生のときに思い立ったのが始まりです。

――「かわいいけど痛い」「おしゃれしたいのにできない」という、小さな“もどかしさ”を解決しようとする発想力がすごいですね。そうした「気づける力」はどこで育ったのでしょう?

気づくというより……私、けっこう“我慢ができないタイプ”なんです(笑)。

「大人になったらオシャレできるよ」と言われても、8歳の私にとっての“大人”はあまりにも遠すぎて。「今すぐやりたい!」って気持ちを抑えきれなくて、家にあったビーズやヘアピンを組み合わせて、自分の髪に留めて“イヤリング風”にしてみたんです。

耳に直接つけなくても、おしゃれが楽しめる方法を見つけたときは、本当に嬉しかったです。それが『マイヤリング®』の原点になりました。 

――特許取得や会社設立という決断には、ご家族や周囲の影響もあったと思います。どんな環境が後押しになったのでしょうか?

小学4年生のとき、父の知り合いの弁理士さんと話す機会があって、その方に「このアイデア(マイヤリング®)、すごくいいんじゃない?」と声をかけてもらったんです。自分の発想が大人に認められたのがすごく嬉しくて、「特許ってなんだろう?」って興味を持つようになりました。

もちろん、最初は何も分かっていませんでした。でも、その弁理士さんが“特許とは何か”を、まったくの初心者でも分かるように一つひとつ教えてくれて、そこから特許を取得するための準備を始めました。

たまたま父が研究職だったこともあって、特許や起業といった話を自然と聞ける環境にいたのが私にとっては大きな要因でした。工作だと思っていた自分のアイデアが、「これはちゃんとした“発明”なんだ」と気づけたのは、そういう大人たちが周りにいてくれたおかげだと思っています。

特許も取れたしせっかくだから“起業”してみよう

――実際に特許取得や起業をするなかで、特に難しかったことや悩んだことはありましたか?

一番難しかったのは“言葉”ですね。特許に関する専門用語やビジネス用語って、大人でも難しいと思うんですけど、それを小学生の私が理解しようとすると、もう本当に大変で(笑)。

説明を聞いていても、「楽しいけれど、私いま何をやってるんだろう?」って、ふと不思議な感覚になることもありました。当時はパソコンを使うのも初めてで、打ち合わせでは大人たちの会話のスピードについていくのに必死。なにより、扱っているお金の桁の大きさに目が覚める思いでした。

お年玉でもらう金額の何倍も高額な数字を見て、「これ、小学生が知る世界じゃないよな……」って(笑)。

――起業を決断するには、かなりの覚悟も必要だったと思います。水野さんご自身は、どんな心持ちでその一歩を踏み出したのでしょうか?

特許を取得したあと、「せっかく特許が取れたんだから、次は会社をつくってみたい」と思ったのがスタートです。難しく考えるというよりは、「やってみたい!」という好奇心のほうが強かったですね。

正直なところ、「うまくいかなくても、まだやり直せるし」と思っていたんです。私にとって起業は、社会勉強の一環というか……“ちょっと長めの社会科見学”みたいな感覚でしたね。

 ――起業から3年ほど経ちますが、当時と比べてご自身の中で変化はありましたか?

会社を立ち上げるとき、実は自分の中で「絶対に守ろう」と決めたルールがふたつあるんです。ひとつは、「わからないことは、わからないとはっきり伝えること」。そしてもうひとつは、「人の意見をしっかり聞きながらも、自分の意見をちゃんと持つこと」。

特に最初の「わからない」と言うことは、簡単そうでいて実はすごく勇気がいる行動でした。でも、大人に頼ることは恥ずかしいことじゃない。むしろ、自分が出す“助けて”のサインをちゃんと伝えることが、前に進むためには必要なんだと、実際に動いてみて気づきました。

そうやって少しずつ経験を積み重ねる中で、自分の中でも「前に進めている」という実感が持てるようになった気がします。

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