レッドブルのモータースポーツ・アドバイザーを退任したヘルムート・マルコは、元チーム代表のクリスチャン・ホーナーがもっと早い段階でチームを離れていたら、フェルスタッペンはチャンピオンになっていただろうと考えている。
アブダビGPの直後、レッドブルとマルコは、契約が残っていたにもかかわらず、長年にわたる協力関係を即時終了することを発表した。7月には、20年間レッドブルのチーム代表を務めたホーナーが解任されているため、1シーズンでレッドブルの上層部に一気に変化が起きたことになる。
ホーナーの解任により、レッドブル内部の権力闘争に終止符が打たれたと思われたが、マルコはそうした見方を軽視した。
「メディアではいつもそう報じられてきたが、個人的な恨みなど全くない」と、82歳のマルコはデ・リンブルガー紙に語った。
「ディディ(故レッドブル創設者ディートリッヒ・マテシッツ)と共に、私は2005年にレッドブル・レーシングを設立した。ホーナーをチーム代表に任命し、私はスーパーバイザーとしてそこにいた。原則として、権力は常にオーストリアにあり、我々が決定を下していた」
マテシッツは2022年10月に亡くなったが、マルコは「その年の初め、オーストリアGPの前のパーティーにディディが出席していたのを覚えているが、体調は良くなかった」と振り返った。
「クリスチャンが私のところに来て、『彼は年末まで生きられないだろう』と言いました。その時から、クリスチャンはチャルーム・ユーウィッタヤー(レッドブル共同オーナー)と親しくなり始めた」
「その年の後半にディディが亡くなったとき、クリスチャンはユーウィッタヤーの支援を得て、会社の経営権を握ろうとあらゆる手を尽くした。私は『オーストリア』側を代表して、それを阻止するためにあらゆる手を尽くした」
その試みは成功したものの、ホーナーのチーム代表解任が必要となったため、マルコにとって勝利とは感じられなかったという。そしてマルコは、軌道修正の遅れがフェルスタッペンの5連覇を逃す一因になったと考えている。
「トラック上のパフォーマンスが低下していたため、行動せざるを得なかった。もしもっと早く実行していれば、より早く軌道修正できて、マックス・フェルスタッペンは今年の世界チャンピオンになっていただろう。私はそれを確信している」
ホーナーの後任であるローラン・メキーズの指揮下で、フェルスタッペンは夏休みの後、絶望的な状況から巻き返し、最終的にチャンピオンとなったランド・ノリス(マクラーレン)にわずか2ポイント差でシーズンを終えた。
「ホーナーとの最後の数年は愉快ではなかった」とマルコはホーナーに関する話題を続けた。
「汚い手口が使われていた。セルジオ・ペレス在籍時に、私がメキシコ人はオランダ人やドイツ人より集中力に欠けると発言したと主張された件を覚えているか?」
「あれはでっち上げだ。おそらく彼ら(ホーナー陣営)によるものだ」
「2024年に私が『エンジン開発が遅れており、パートナーのフォードを失うだろう』という話を広めたという主張についても同様だ。私はそんなことは一言も言っていないが、ホーナーはそれを私を停職処分にする材料にしたかった。ジェッダでマックスの支援があったため、それは実現しなかった」
そうした試みが成功しなかったことでホーナーはユーウィッタヤーの支持を失い、解任されることになったとマルコは主張した。
「ホーナーが様々な事柄について嘘をついていることを、我々はより頻繁に証明できるようになった」とマルコは結論づけた。
「チャルームもそれを理解した時点で、考えを変えたのだ」

