【功明ちゃん事件の闇・前編】
ジャーナリストの岡本萬尋氏が、事件の謎に迫る「シリーズ戦後未解決事件史」。第6弾は作家・横山秀夫の代表作『64』のモデルともなった残忍、かつ異様な身代金誘拐を目的とした「功明ちゃん事件」(1987年9月発生)の闇をお届けする(全2回中の1回目)。
戦後唯一の“未解決”身代金誘拐殺人
11月8日、俳優・仲代達矢が92歳で鬼籍に入った。1959年の映画『人間の条件』で主役に抜擢され頭角を現し、巨匠・黒澤明映画に欠かせぬ存在に。一方で女優・演出家の妻、宮崎恭子(1931~1996)と「無名塾」で数多の役者を育て上げた。
仲代の名を世に知らしめた出世作の1つが1963年の黒澤映画『天国と地獄』。エド・マクベインの小説『キングの身代金』を下敷きに、身代金誘拐の緊迫感あふれる展開はその後の日本映画や刑事ドラマに多大な影響を与えたとされる。
仲代は誘拐犯を追う刑事を演じたが、映画公開の1カ月後に戦後最大の誘拐事件といわれる「吉展ちゃん事件」が起こり、映画が犯罪を誘発したのではないかと物議を醸すことにもなった。
だが現実には、身代金誘拐は最も割に合わない犯罪の一つとされている。金を奪うため被害者側との接触が避けられず検挙率も9割を超えるなど、まず成功する見込みのない代表格と言っていい。そして逮捕されれば重罪は避けられない。先の吉展ちゃん事件の犯人・小原保も死刑となっている。
一方で、極めて稀だが犯人が不明のままの事件もある。本稿では、身代金目的の誘拐殺人として戦後唯一の未解決事件「功明ちゃん事件」を検証する。作家・横山秀夫の代表作『64』のモデルともなったが、それは戦後犯罪史でも特筆されるほど残忍、かつ異様な犯罪だった。
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「おまわりさんといっしょ」の意味は?
事件が起きたのは1987(昭和62)年9月14日。この日の夕方、群馬県高崎市の住宅街からひとりの男の子の姿が消えた。当時5歳の幼稚園児、荻原功明ちゃん。2日後、功明ちゃんは同市内を流れる碓氷川の支流、寺沢川で全裸遺体となって発見された。
功明ちゃんは事件当日、午後4時50分に自宅斜め前の神社に遊びに出かけている。いつもは家族の誰かと一緒に外出するのが常だったが、この日に限ってひとりだったという。
同居する祖母が神社前を通りかかり、功明ちゃんの姿が見えないことに気づいたのが午後5時過ぎ。その間およそ10分、自宅から神社まではわずか15メートル。何者かが、夕暮れのほんの一瞬の空白を衝いて功明ちゃんを連れ去ったことになる。
近所の住人が神社入り口を塞ぐように停まっていた、見慣れぬ白い車を目撃したとの情報もあった。
犯人からは、その日の午後6時42分に荻原さん宅に身代金2000万円を要求する電話がかかる。そして午後8時3分、3回目の電話に功明ちゃんが出た。
功明ちゃん「お父さん」
父親「お父さんだよ、元気?」
功明ちゃん「元気」
父親「どうしてるの?」
功明ちゃん「これから帰るよ」
父親「もしもし、どこにいるの? どこからかけてるの? おうち? どこのおうち?」
功明ちゃん「おまわりさんといっしょ」
父親「おまわりさん? よしくん、よしくん……」
結果としてこれが、家族が聞いた最後の肉声となった。
同時に、功明ちゃんの最後の一言「おまわりさんと一緒」が大きな謎を残すことになる。これは疑問形なのか、そうではないのか。即ち「一緒?」と父親に尋ねたのであれば荻原さん宅に警察がいるのかを聞くよう犯人に命じられた可能性が高く、そうでなければ功明ちゃんの傍らに警官とおぼしき人間がいたことになる。
前者と思った父親が答えあぐねているうちに電話は切れ、その意味次第で事件の構図が一変する言葉の謎は今なお解明されていない。(一部敬称略)
【功明ちゃん事件の闇・後編】に続く
取材・文/岡本萬尋
