最新エンタメ情報が満載! Merkystyle マーキースタイル
倍速視聴、時短、人脈カット…その「効率化」、本当にあなたを自由にしているか?––––コスパ・タイパ至上主義が奪うもの

倍速視聴、時短、人脈カット…その「効率化」、本当にあなたを自由にしているか?––––コスパ・タイパ至上主義が奪うもの

「コスパ」「タイパ」という言葉が、いつの間にか私たちの行動や価値判断の基準になってはいないだろうか。安く、早く、効率よく――確かにそれは便利で合理的だ。しかし、コスパやタイパを追い求めるあまり、長い目で見て失っているものもある。

日常や余暇、そして人間関係にまで入り込んだ“効率化思考”の落とし穴について、『戦略的暇 人生を変える「新しい休み方」』より一部を抜粋、編集してお届けする。

コスパとタイパの罠

最近、「コスパ(コスト・パフォーマンス)」「タイパ(タイム・パフォーマンス)」という言葉を耳にする機会が増えました。この二つの言葉は乱用されている印象があるので、本書における定義をはっきりさせておきましょう。

まず、コスパは支払った金額に対して得られる効果や満足度のことで、「費用対効果」とも呼ばれます。一方、タイパの基準は時間です。自分が投じた時間に対して、どれぐらい効果や満足度が得られるのかを指します。

いずれも、効果や満足度のためにかけるお金や時間は「少ないほうが好ましい」というのが両者に共通する傾向でしょう。少額の割にはお腹がいっぱいになる、少額の割には長持ちする、汎用性が高いというのが「コスパの良いもの」になるのです。

タイパは「時短」「隙間時間の活用」によって、可処分時間(自分が自由に使える時間)を増やすことが本来の意義です。例を挙げると、本の要約サービスやネタバレ系コンテンツ、動画の倍速視聴、手軽ですぐに調理できる冷凍食品などがあります。

対面ではなくビデオ会議やテキストメッセージで済ませるコミュニケーションも、タイパの追求行為に当てはまります。

コスパ、タイパについては個人の信条もありますし、それらの追求そのものに喜びを感じる方もいらっしゃるので否定するつもりはありません。しかし、コスパやタイパに執着しすぎると短期的な目線になりがちだという点は指摘しておきます。

それぞれ、例を挙げながら考えてみましょう。

たとえば、「安くてお腹いっぱいになるもの」はコスパが良いわけですが、一時的な満腹感があっても、長い目で見れば健康に悪影響を及ぼしかねません。安いものを求めたあげく、自らの安全を脅かしてしまうのでは、本末転倒です。そもそも、食の楽しみが損なわれます。

続いて、タイパ。あまり意識していないかもしれませんが、SNSを使って誰かと連絡を取り合うのも、タイパを重視する行為です。

待ち合わせの時間と場所を決めて、そこまで移動して直接会って話をするのは手間がかかるので、私たちはオンライン上の通話やチャットで意思疎通の行為を済ませているわけです。最近では、電話を使って話す機会も減ってきていますね。

しかし、オンライン上で自分が意図していることがうまく伝わらずトラブルになったり、相手の返事がないとやきもきしたり、相手と膝をつき合わせて会話できないがゆえに、信頼関係を築くのが難しいこともあります。

時間をかけずに誰かと繫がれるSNSを使っているにも関わらず、結局、孤独感を覚えるのはまさにタイパに固執しすぎることで生まれる弊害だと言えるでしょう。

最近では勤め先で、一緒に働く人との飲み会や残業などを頑なに断り、自分の時間を優先したいと考える人たちが増えており、就職活動においてもプライベートの時間がしっかり確保できるかどうかは会社を選ぶうえで重要な判断基準となっているようです。

もちろん、プライベートの時間を守るのは大切ですし、それはこれまでの日本の企業があまりに軽視してきたことでもあるでしょう。

ですが、たとえば会社の飲み会や会食などで出会いや発見があったり、そのときに築いた人脈が後のキャリアで活きる可能性もあります。

何が役に立つのかは、そのときになってみないとわからない。コスパやタイパに腐心するのは、あとになって芽が出るかもしれない種まきを最初から放棄しているようにも映ります。

「効率の良い趣味」はない

さらに、コスパやタイパの追求行為が本来の目的(その行為によって効果や満足度を得ること)を覆い隠してしまうこと。つまり、手段が目的化してしまうことも考えられます。

たとえば、仕事や早く終わらせてしまいたい日常生活の雑用については、コスパやタイパの定規を用いて、早く安く、効率的な目線で考えるのは大切なことです。

仕事や雑用を「さっさと終わらせようとする」のは、その後の自由な時間を少しでも増やして、余暇を謳歌するためですよね。

しかし、最近では「倍速」という言葉があるように、余暇の時間に見る動画を「早送り」する人が増えているようです。

僕としては俳優がセリフを発するまでの間や、表情やちょっとした動作による感情表現、作中の音楽などを存分に味わいたいので、それらをスキップしてしまう感覚にはどうにも馴染めないのですが、これらの行為の背景を考えるとタイパそのものが目的化しているのではないか、と考えてしまいます。

時計時間をベースとする資本主義社会では、効率(早く安く、多くを成し遂げられること)は絶対神のように扱われます。しかし、この資本主義における定規は私たちの余暇にまで適用されるべきものなのでしょうか。自由な時間、余暇においてまで効率は「善」なのでしょうか。

自由な時間、余暇とは仕事中では許されないような失敗や遅れが許される、というより、そもそも失敗という概念が余暇の世界にはないのです。「効率の良い趣味」なんてあるでしょうか? 

サーフィンだって、登山だって、楽器の演奏だって、推し活だって、別にやらなければムダにコストや時間、エネルギーを消費することはないのです。それでも、私たちはやらずにはいられない。

なぜなら、ただやっているだけで楽しいから。これに尽きます。趣味やライフワークがなければ、人生は無色に等しいものになってしまうでしょう。

この社会に生きている以上、効率化マシンとして作動しなければならない部分も確かにあります。しかし余暇を過ごすときは効率化マシンとしてではなく、非効率を謳歌する生身の人でいられる。そんな時間が美しく、愛おしいのです。

逆説的ですが、私たちがコスパやタイパという尺度を使って効率化を図る最大の目的は、自由を味わうこと―非効率な時間を謳歌するためです。

文/森下彰大 写真/shutterstock

提供元

プロフィール画像

集英社オンライン

雑誌、漫画、書籍など数多くのエンタテインメントを生み出してきた集英社が、これまでに培った知的・人的アセットをフル活用して送るウェブニュースメディア。暮らしや心を豊かにする読みものや知的探求心に応えるアカデミックなコラムから、集英社の大ヒット作の舞台裏や最新ニュースなど、バラエティ豊かな記事を配信。

あなたにおすすめ