最新エンタメ情報が満載! Merkystyle マーキースタイル
「“違い”を作れなかった。言い訳できない」やり切ったからこその諦念。そして古巣への思い「“面白い浦和”が見られるんじゃないか」【原口元気 独占インタビュー①】

「“違い”を作れなかった。言い訳できない」やり切ったからこその諦念。そして古巣への思い「“面白い浦和”が見られるんじゃないか」【原口元気 独占インタビュー①】


「浦和レッズでは自分が本来やりたかったポジションで勝負したい」と意気込み、2024年9月に10年ぶりの古巣復帰を果たした原口元気。「2025年は自分がアタッカーとしてもう1回、輝いて、チームを優勝させたい」と飽くなき闘志を燃やし、フィジカル強化や走力アップなどあらゆる取り組みを実践。シーズンに挑んだはずだった。

 しかしながら、今季はJ1で21試合に出場(うち先発2試合)して無得点。彼自身が最大のターゲットと位置付けていたFIFAクラブワールドカップも、初戦のリーベルプレート戦、第2戦のインテル戦でいずれも87分に途中出場と短時間、ピッチに立っただけ。チームは3戦全敗に終わり、不完全燃焼のまま帰国。結局、9月頭にはチームを離れ、ベルギー2部ベールスホットに移籍。新天地を見出すことになったのだ。

 その原口に今回、単独インタビューを実施。浦和での自分自身を振り返ってもらうと同時に、欧州再移籍の経緯、新天地でのやりがい、指導者への挑戦、日本代表への期待などを赤裸々に語ってもらった。

――◆――◆――

「もともと夏には外に出ようかなと考えていました。僕としてはドイツ語圏で探していて、いくつか話していたクラブがあったんですけど、ベールスホットからオファーがあったのは本当に最後に最後。8月末でしたね。

 ホリさん(堀之内聖SD)とは何度も話しましたし、自分自身もいろんなことを考えましたけど、英語を使える国に行った方が指導者ライセンス取得に向けて可能性が広がるかなという考えがありました。ベルギーはフランス語とオランダ語の国ですけど、非常に国際的ですし、英語を使うチャンスも多いので、自分にとっては良い選択かなと思って決めたんです」
 
 原口は9月に浦和を離れることになった経緯をこう語る。とはいえ、10年ぶりに古巣復帰し、チームを引き上げたいと考えていた彼にとって、再びチームを去るのは苦渋の決断だったに違いない。

「もちろん浦和で活躍したいって気持ちはものすごく強かったけど、なかなか立場的にも難しかった。もちろん競技面で貢献することが一番でしたけど、それ以外にもいろんなことを伝えないといけないと考えていたから、練習後には若い選手と自主練をやったり、チームを盛り上げるためのアクションも起こしたつもりです。

 だけど、それがあんまり説得力を持たなかった。やっぱり選手は『パフォーマンスがあってこその説得力』だと思うので、一番肝心なパフォーマンスがついてこなかったことが、本当に悔しかった。『本当に難しかったな』とは今、思い返してもしみじみ感じます」と本人も神妙な面持ちで言う。
 
 原口が戻ってきた2024年9月というのは、ちょうどベア=マティアス・ヘグモ前監督からマチェイ・スコルジャ監督にスイッチしたタイミング。ご存じの通り、スコルジャ監督は堅守をベースに戦う指揮官で、攻撃面で大きなリスクを冒さない傾向が強い。

 2024シーズン終盤こそ、様々な選手や組み合わせにトライし、原口も出場10試合中5戦に先発。11月10日のサンフレッチェ広島戦で復帰後初ゴールも奪い、2025年に弾みをつけたはずだった。

 そして今季を迎えるにあたり、クラブはマテウス・サヴィオ、金子拓郎、松本泰志ら2列目要員を大量補強。原口は競争に打ち勝つべく、走り方を一から見直し、スプリント能力を引き上げるなど試行錯誤を繰り返し、良い状態で開幕を迎えたはずだったが、昨季より序列はダウン。皮肉なことに、出番がどんどん減少していったのだ。

「日本にいた1年間、自分は本当にストイックにサッカーに向き合いましたし、成功のためだけに取り組みました。実際、『今日こそ来るかもしれない』というチャンスも何度かあったと思います。ヘルタ・ベルリンやウニオン・ベルリン時代もそうだけど、これまでのキャリアだったら、控えに回されていても、『ここで覆すのが俺だよな』という感じで途中から出て、結果を残して、スタメンを奪い返したこともありましたから。

 だけど、今年はまったく覆せなかった。今季の浦和はマチェイさんのサッカーにいろんな選手を組み込む難しさもあって、なかなか点が取れませんでした。だけど、確固たる構造がなかったとしても、圧倒的な打開力、決定力があれば、点は取れるもの。自分が一番評価を上げた2011年みたいに絶好調時だったら、それができていたと思います。

 34歳になった自分はそういう“違い”を作れなかった。だからこそ、言い訳ができないし、ウイングでのチャレンジは失敗に終わったなと。『これだけやったのにダメだったんだから、もうしょうがない』と諦めがついたのは確かです」と原口は潔く認めていた。
 
 福田正博や永井雄一郎、武藤雄樹といった先人たちのエースナンバー9を背負いながら、異彩を放つことができない原口に対し、サポーターの目線は厳しかった。今季の浦和の低調なスタートとも重なり、試合後のSNSには彼に対する批判が数多く散見された。

「サポーターからの声は、批判も含めて期待の表われだと考えていたし、『いつか見返してやろう』という思いもありました。自分は16~17年間、結果ありきの世界で生きているんで、結果が出せなかったことが悔しい。いろんな批判も真摯に受け止めています」と彼は静かに言う。

 本当に辛く苦しい1年間だったのは間違いない。ただ、久々のJリーグで新たな発見や学びがあったのも事実。2018年ロシア・ワールドカップで共闘した乾貴士、香川真司といった年長者たちの奮闘に刺激を受けることも少なくなかった様子だ。

「Jリーグのレベルは絶対10年前より上がっていると思いましたね。フィジカル的にもレベルアップしているし、穴になるような選手は見当たらないですね。ただ、トップ・オブ・トップのタレントが海外に行っている分、平均的な印象もあります。

 日本人選手で足りないところを外国人選手で補っているのかなと思います。優勝した鹿島アントラーズのレオ・セアラや京都サンガを躍進へと導いたラファエル・エリアスは決定力がすごくありましたね。やっぱり成功しているチームはストライカーにお金をかけている。

 僕のいた浦和に目を向けると、イサーク(・キーセ・テリン)にしても、小森(飛絢)にしても、チアゴ(・サンタナ)にしても、決して悪い選手じゃない。持ってる能力は素晴らしいと思います。ただ、今季に関しては、彼らの力を十分に引き出せなかったなと。来季以降は良くなるといいなと思います」と原口は古巣の巻き返しに期待を寄せた。
 
 また、鹿島の優勝で特に目についたのは、その原動力となった鈴木優磨の存在感だという。

「優磨が本当にチームを引っ張って、最後に鹿島を優勝させたというのは凄いことだなと思います。僕もそういう仕事をしたいと願って、欧州から浦和に戻ってきた。自分はできなかったけど、その仕事を全うした彼には本当に敬意を払いますし、あれこそがクラブのサポーターから愛されるべき存在なのかなと感じます。

 来季の浦和にはもっと積極的に行く決断を見せてほしいですね。マチェイさんは堅い監督で、そのスタイルでこれまでのキャリアを作ってきた指揮官。それに関しては僕も素晴らしいと思いますし、そのスタイルを変えるのはなかなか難しいのかなとも認識しています。

 ただ、2026年の前半戦は降格もない特別な大会。だからこそ、新たに何かトライをしてほしい。彼自身がそういう半年間と位置づけるのであれば、“面白い浦和”が見られるんじゃないかと思いますね」と、原口は古巣に思いを馳せ、飛躍を願い続けている。
 
 特に、キャプテンを務めた後輩の関根貴大には特別な思い入れがあるようだ。

「タカは今季、本当に大変だったと思う。常に大変そうに見える人間なんですけどね(笑)。ただ、彼も30代になりましたし、ここ数年が勝負。僕のように悔しい思いで浦和を去るようなことにならないように、思い残すことのないパフォーマンスをしてほしい。いつか彼がトロフィー抱えている姿を見てみたい。本人もそういう僕の思いを引き継いでくれると信じています」

 長く過ごしたクラブだからこそ、原口の浦和、仲間に対する思いはひと際強い。それは1年間のチャレンジが失敗に終わったとしても変わらない。そういう人情のあるところが彼の良さ。原口元気という選手が残したものを、後輩たちはしっかりと受け止めて、勝負の2026年に挑んでほしいものである。

※第1回終了(全3回)

取材・文●元川悦子(フリーライター)

【画像】長澤まさみ、広瀬すず、今田美桜らを抑えての1位は? サカダイ選手名鑑で集計!「Jリーガーが好きな女性タレントランキング」TOP20を一挙紹介

【記事】「元気がないと感じた」「監督どうこうよりも…」興梠慎三が古巣の浦和に檄! 恩師ミシャのJ復帰噂にも言及「すごくいいところに目をつけた」

【記事】来季に向けた改善は? 続投発表の浦和スコルジャ監督が表明「私自身の判断から見直していく必要があります」
配信元: SOCCER DIGEST Web

あなたにおすすめ