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大改革はじまる、戸狩温泉スキー場。異⾊の経歴を持つ新社⻑の描く計画とは?

長野県から新潟県にまたがる関田山脈の麓、豪雪地帯としても知られる戸狩温泉スキー場がこの冬、大規模な改革に踏み切る。
仕掛け人は、現役のレーシングドライバーであり、都内で投資会社を経営する濱口弘さん、49歳。2025年7月に同スキー場の運営会社の全株式を取得し、代表取締役社長に就任した。 

学生時代にバスケットボール留学で渡米、27歳でスポーツ選手のデータマーケティング会社を起業、2001年に濱口アセットマネジメント株式会社を設立。2008年32歳からはレーシングドライバーとしても活躍。現在に至るまで欧州の最高峰GTレースでヨーロッパ・シリーズチャンピオンをも獲得している濱口さんは、スキーも技術検定の最高峰資格クラウン保持者。


スキー場経営者としては異色のキャリアを持つ濱口さんが、どんな経緯で戸狩温泉スキー場を運営することになったのか? 
その背景と思い描く未来像を探るべく、大規模改修が急ピッチで進む秋の戸狩温泉でインタビューを行った。 

息⼦をモーグル選⼿へ育てあげる

ー東京ご出身でスキーはいつから始めたのですか? 

幼稚園くらいですかね、父が慶応のスキー部だったので、後ろをくっついて滑っていました。
小学生になると、父よりも友達の家族に連れられてバブル真っ盛りの苗場など行っていましたね。そこからは全くやらなくなって。自分の息子にスキーをやらせようと思って、僕も再開しました。

ーではかなりブランクがあるんですね。息子さんと再開したのはいつぐらいですか? 

10年くらい前ですね、息子が3歳の時です。僕はすごいスポーツが好きなので、子どもにもスポーツをやらせたいと思っていました。
ただ4月〜10月は車のレースのシーズンで、ほとんどヨーロッパにいるので、ウィンタースポーツの方がいいかなと思ったし、自分も昔ちょっとやっていましたからね。 

ー息子さんとはけっこう頻繁に出かけていたのですか? 

そうですね、土日は毎週のように。最初の頃はかぐらスキー場によく通っていましたね。だんだん息子がスキーを気にいってくれて、かぐらのスキースクールにお世話になって、小学1年生くらいの頃に1級を取ったんです。
その後、プライズを目指すには、割と本気で練習しなきゃねっていうタイミングで、僕も一緒に習おうと思って、僕も本格的にスキーの練習に打ち込むようになりました。 

ーすごいですね、その結果がクラウン(*1)ですか! 

そうなんです。いま、息子はモーグルの選手なんですけど、練習のために僕も休みの間は世界中を一緒に回って滑っています。息子がコーチと練習している間、見ているだけではもったいないじゃないですか。
自分も上手くなろうと思って、スキーヤーの桑原竜司くん(*2)に「彼らが練習している間に僕を教えてよ」とお願いしたんですよ。
プライベートコーチ状態で猛特訓してクラウン取得できました。 

ー息子さんがモーグル競技へ進もうというのは、何かきっかけがあったんですか? 

僕がモーグルかっこいい! と思っていたんです。自分はもう歳でできないし、どうやったら息子がモーグルやってくれるかなと考えて。
ちょっとコブを超えたら、「うわぁ〜! すっごい上手いじゃん!! モーグル選手になった方がいいよ!」ってうまーい具合に乗せて、上げていたら、本当にハマってくれたんです(笑) 

ーそれは見事ですねー。それで戸狩のモーグルチームに入ったんですか? 

最初は西伸幸くん(*3)が主宰している神立のスクールに通わせていて、そこからチームに入った方がいいということで、彼の先輩である木原初夢くん率いるモーグルチームTR-Jに入りました。
5年くらい前から、メインの練習場所である戸狩温泉スキー場に息子と一緒に通うようになりました。

*1 クラウン:全日本スキー連盟公認の5級から1級の級別バッジテストの上にプライズテストがあり、クラウンプライズ資格は最高峰でスキー技術の頂点を目指す証。
*2 桑原竜司元モーグル日本代表としてW杯など世界大会に出場。2015年からコブ専門のスクールを開講。全日本技術選手権大会でも活躍するスキーヤー。 
*3 西伸幸元モーグル日本代表としてオリンピック3大会連続出場。現在は新潟県・神立スノーリゾートのフュージョンバンプスクール校長として後身の育成に励む。  

 

戸狩温泉スキー場買収を考えた理由 

総面積140ヘクタールの広大なゲレンデが広がる戸狩温泉スキー場。上部のゲレンデからは飯山盆地と千曲川の絶景や雲海を望むことも

初めて戸狩温泉スキー場を訪れた時の印象は何かありますか? 

初めて訪れたのは8シーズンぐらい前なんですが、スキー場の入り口に「戸狩温泉スキー場」と書かれた古びた鉄柱というか特大看板があって、正直なところそれを見た瞬間、「やべー!!なんて昭和なんだ!」と衝撃を受けました(笑)。
リニューアルとともに撤去しちゃいましたが。地元の皆さんにとっては、日常の風景だと思いますが、マジかー!と驚くような看板や建物が印象的でしたね。 

いつからスキー場買収のことを意識するようになったんですか? 

3年くらい前に、もしかしたらこのスキー場で練習ができなくなるかもしれないって話が出たんです。
本当に噂ベースだけど、国スポ(*4)終わったらスキー場閉じてしまうかも、という話で。半分冗談、半分本気で、地元の若い人たちから「濱口さんなんとかしてくれないですか」みたいに言われて、「どうにもなんないよ、そんなの」と言いながらも、頭に残っていましたね。

実際に買収に至るまで、どんな気持ちの変化がありましたか? 

まず自分がもしここを経営するのであれば、何が必要かというのはすごく考えたし、それに関わることでリサーチできるものは、隅から隅まで調べ上げました。
その中で、別にスキー場から僕に買ってくれとオファーがあったわけでもないし、僕から買わせてと言ったわけでもないので。
こういうのってご縁なので、本当にそういう運命であれば、ボールがこっちに回ってきたりするので、僕は自分からボールを投げることはしないで、経緯を見守りながら静かに待っていました。 

ーーそうなんですね。いろんなタイミングでうまく話が進んだということなんですね。 

よかったのは、僕の顧問弁護士と戸狩の10年前の民事再生(*5)の時の弁護士さんが一緒だったという偶然、これに尽きるんですよ。
さっきの噂ベースの話をしている時期に、その弁護士に「スキー場の運営とか買収とかどう思う?」と聞いたんです。そしたら「僕10年前に民事再生でスキー場に携わったことがあるので詳しく聞いてください」と言ってくれて、「じゃあ相談することになるかも。ちなみになんてスキー場?」と聞いたら「戸狩温泉です」て。「えー!!」ってなって。
彼は事務所の備品1個まで資産を覚えていますから、絶対に変な話にはならないし、「お互いがウィンウィンになるように力になれますから」と言ってくれて。そこから前社長に話してくれて、話が進んでいきました。 

本当にご縁ですね。それにしても現役レーシングドライバーであり、会社も経営されていて、手一杯ってことはなかったんですか? 

手一杯です。本当に手一杯です。もう無理です(笑) 

着手する際に一番の気掛かりはどんなことでしたか? 

M&Aコンサル業務が本業なんですが、不動産や車の売買と違うのは、スキー場だけでなくそこで働く「人」と一緒に考えていかないとならない点です。スキー場がいくら良くても、この会社にいる人たちと気が合わなかったら無理なんですよ。
元々スキー場の方はほんの数名しか知らなかったので、入ってみないことにはわからなくて、一番の心配要素でした。年間で働くチームは6人と少ないんですが、ファミリーライクで皆さん受け入れてくれて、本当によかったです。

 *4国スポ 国民スポーツ大会。2028年「信州やまなみ国スポ」のアルペン競技は戸狩温泉スキー場が会場。 
*5民事再生  2013年、戸狩温泉スキー場を運営する戸狩観光は経営悪化により長野地裁に民事再生法の適用を申請、滋賀建機(株)が運営受託。

配信元: STEEP

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