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プロテニス西岡良仁が主催する「Yoshi's Cup」5年目の進化!優勝賞金500万円でジュニア選手の海外挑戦を後押し <SMASH>

プロテニス西岡良仁が主催する「Yoshi's Cup」5年目の進化!優勝賞金500万円でジュニア選手の海外挑戦を後押し <SMASH>

現役テニス選手の西岡良仁が主催・運営する 「Yoshi’s Cup」が、今年で5年目を迎えた。

 同大会は、16歳以下の国内男子ジュニア選手8名による対抗戦。参戦選手は、過去の実績に基づき選定される、国内トップかつプロ志向の若手たちである。

「Yoshi’s Cup」の第1回大会が開催されたのは、コロナ禍の2021年。テレビ局の「アスリートがクラウドファンディングを活用し、やりたいことを達成する」という企画の一環だった。

 テレビ局から声が掛かった時、西岡は「ならば、ジュニアが世界に羽ばたく後押しがしたい」と熱望。その手段や企画内容を揉むうちに、優勝者に活動支援金100万円を与える大会設立に至った。

 本来なら一過性だったその大会が、今では出場が一つのステータスとなる、シーズン最終戦的な地位を確立。活動支援金は毎年100万円ずつ増え、今年はその額500万円。その外にも、国際大会の出場権や米国IMGアカデミー合宿参加など、数々の特典が用意されている。運営資金面でも「Yoshi’s Cup」は、国内で最も成功している大会の一つだと言えるだろう。

「1年だけでなく、長く支援してくださっている企業やスポンサーの方たちが多いのが、この大会の特徴かなと。それが続けてこられた大きな要因だし、おかげで良い大会運営ができているなと感じています」

 明瞭な口調で、西岡がこの5年間を振り返る。
  第1回からの支援企業も含め、多くのスポンサーを獲得できているのは、もちろん西岡らの営業努力の賜物だろう。同時に「Yoshi‘s Cup」の大会理念が明確であり、そのビジョンに賛同している人々が多いからでもあるはずだ。

「それは、あると思います」と、西岡も語気を強める。

「まずは、ジュニア大会であること。そして、『日本の若い人たちに、海外で活躍してほしい。その後押しをしたい』という僕らの思いに、シンパシーを感じてくれる企業さんがたくさんいるのは感じています。グローバル化が進むなかで、世界に目を向ける企業もどんどん増えている。それが、うまくマッチングしているのかなと感じることもあります」

 西岡が掲げる「Yoshi’s Cup」の理念は、170センチの小柄な身体で世界24位まで至った、プロテニスプレーヤーとしての哲学そのものでもあるだろう。15歳で米国IMGアカデミーに渡った西岡は、パワーや体格で自身を上回る異国の選手と早くから対戦を重ね、小兵ならではの戦術を確立した。

 だからこそ、「Yoshi’s Cup」が与える活動支援金は、海外遠征のために使うことを原則としている。ただ大会を重ねる中で、徐々にその大前提が薄れていることも、最近は感じていたという。
  大会参戦者の多くは、中学生から高校生。当然ながら、学校と遠征の両立が難しい選手も出てくる。

 この点に関しては、「こればっかりは、僕も口出しできないところなので」と西岡も苦く笑った。

「ただ、やはりルールをちゃんと決めなくてはいけないというのは、感じたところです。これだけ多くの人たちが動いていることでもあるので、お金をどういう風に使って欲しいか、どれくらい海外に行って欲しいかという規約を書くようにしました」
 
 これまで、獲得者に一任していた活動支援金の用途を、今年からは明確化。その背景には、選手本人はもちろん保護者たちも、ジュニアからプロへの移行期に何をすべきか、悩み迷っている現状があった。

 西岡が説明する。

「今は、良くも悪くも情報社会。それは、自分で情報を獲得できないと取り残されてしまうこと。ディスアドバンテージを被っている状態だと思います。

 これまで大会をやってきて、一番保護者の方から聞かれるのが『どの学校に行かせたら良いですか?』『どこのテニスクラブに行くのが良いですか?』です。海外のクラブに行かせるとなると、条件面をどうするかなど、自分たちで交渉しなくてはいけない。そのあたりは、僕らが担える訳ではないですが、できる限りの助力はしたいなと思っているんです」
  その支援の一環として始めた、新たな試みがある。「Yoshi‘s Cup」を介した、通信制高校とテニスクラブとの連携だ。大会の協賛でもある山口松陰学園は、山口県に本校を構える学校法人。全国各地に学習センター(高校)を展開しており、その町田校と桜田倶楽部がこのたび提携した。

「これは本当に始まったばかりなので手探り状態ですが、町田校の生徒は、桜田倶楽部で練習できるというパッケージのような感じです。桜田倶楽部は多くの選手を輩出している実績があるし、伊藤竜馬さんのような元トッププロもコーチにいる。あくまで僕らができることはサポート程度ですが、選手やその保護者に、一つの選択肢を提供できるのは良いことではと思います」

 単に活動資金を得るだけでなく、それを正しく効果的に使うことで、世界への道が開ける――。

 その理念のもとに進む西岡の背を、一つの実証例として、押してくれた選手もいる。それが、「Yoshi’s Cup」初代優勝者の松岡隼だ。
  今年20歳を迎えた松岡は、現在世界360位。11月にオーストラリア開催のATPチャレンジャー(ツアーの下部大会)でベスト4、翌週は準優勝と2大会連続で結果を出し、ランキングを急上昇させた。

「松岡は、いい意味で貪欲だったと思います」

 4年前の日を、西岡が回想する。

「彼は第1回目のYoshi’s Cupにも、『優勝したい。優勝して100万円を獲得し、それを元手に南米遠征に行きたい』という想いで乗り込んできた。彼が唯一、ビジョンが明確だった。もちろん、外の選手たちもそれぞれ目標があると思いますが、あれだけ貪欲にやってきた松岡がここに来て頭一つ抜けたのは、やはり理由があると思います」

 実際に松岡本人も、そのような強い意志を抱き、「Yoshi’s Cup」に挑んでいたことを認める。

「ジュニアの南米遠征は、それまでは日本テニス協会のナショナルチームが行っていたものだったんです。でも自分の代は、コロナでなかった。自分は行きたかったけれど資金がなく断念したのですが、そこでYoshi’s Cupが始まったんです。だったら優勝して100万円を獲得し、南米遠征に絶対に行ってやろうという気持ちがありました」
  果たして乗り込んだ南米では、戦績的にもプレー面でも、慣れぬ赤土に苦しめられた。ただ松岡は「若い年代のうちに、タフな環境に身を置いた経験は、間違いなく今にも生きている」と断言。

「あの苦しさを味わったからこそ、打開方法を見つけられるし、逆に調子がいい時には絶対にそこを逃してはいけないという気持ちになれる」

 16歳にして、自らの手で勝ち取った掛け替えのない経験。その教訓を生かした、今季終盤の大躍進でもあった。

 今回の「Yoshi’s Cup」を制したのは、西岡と同郷の三重県出身の岡部世南。西岡賞には、13歳の最年少ながら、スケールの大きなテニスで関係者を沸かせたオトリエ龍馬が選出された。

 彼らがこの先、いかなる成長を遂げるのか? それは、大会を通じ西岡らが発信した意志や意図を、どれほど受け止めたかに掛かってくるだろう。

取材・文●内田暁

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配信元: THE DIGEST

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