スポーツでパフォーマンスを上げるためには何をしたら良いのか? 誰もが考えるのは、体力をつけトレーニングで技術を磨くこと。身体を作るためには食事の仕方や栄養面に気を配ることも重要だ。その結果、どうしても“睡眠”が後回しになりがちだと嘆くのが、日本でただ一人と言われる“スリープトレーナー”ヒラノマリ氏。アスリート専門の「睡眠のパーソナルトレーナー」だ。睡眠は、人間のパフォーマンスにどれほどの影響があるのか? プロ野球の球団のセミナー、そして現役オリンピアンのコンサルタントなども務めるヒラノ氏に話を伺った。
睡眠の質を上げるのは、枕や寝室の環境だけではない

睡眠は、人間が健康な状態で生命を維持していくために重要なことであるのは誰でもわかっている。しかし、満足に眠れている人はどれだけいるのだろうか? 日本人は睡眠時間が少ないとよく言われる。実際のところOECD(経済協力開発機構)が2021年に公表した調査によれば、日本人の平均睡眠時間は7時間22分。加盟33か国中で最下位だ。それなのに、体調不良やダイエットは日頃の話題に上っても、睡眠についての悩みを口にする人は少ない。
「戦後の復興や経済成長、また震災をはじめとする災害からの復興する力などからもわかるとおり、日本人は頑張り屋なのだと思います。寝る暇も惜しんで一生懸命働いて頑張るのが良いとされる一方、“寝ること”=“サボること”と思って罪悪感を覚えてしまう。ただ、アメリカのシンクタンク“ランド研究所”の調査によれば、日本の睡眠不足による経済損失は15兆円。GDP比で約3%にも上ると言われています。睡眠はとても大事なことなんです」(ヒラノマリ氏、以下同)
日本で唯一のアスリート専門の睡眠パーソナルトレーナー、ヒラノマリ氏経済損失はともかくとして、アスリートのパフォーマンスにも睡眠は重要な影響を与えるというが、それはいったいどういうことなのだろうか。ヒラノ氏がコンサルティングを行っているあるオリンピアンは、睡眠を意識することによって、パフォーマンスが大きくアップしたという。
「その選手は腰痛で悩んでいて、マットレスや枕を見直したいのでアドバイスをしてほしいと頼まれたのが最初のきっかけです。海外遠征が多く、ある国で試合をしたあと日本に戻らずに別の国に行くようなこともあるというお話を伺って、これはマットレスや枕の問題を解決するだけではだめだなと思いました。睡眠の質には、部屋の環境はもちろんのこと、あとでお話ししますが自律神経や体内時計など、いろいろな要素が絡んでくるのです。普段の生活習慣なども見ながら、選手と二人三脚で取り組んでいったのですが、見事良い成績を残すことができて、私も嬉しかったですね」
“攻めの睡眠”で積極的に睡眠を味方につける

睡眠の役割というと、まず疲労回復をイメージしがちだが、実はこのようにその人にあった方法で睡眠の質を上げることを模索していくことによって、アスリートにとってはパフォーマンスを上げる武器となるというのがヒラノ氏の主張だ。
「どんなスポーツでも勝つための戦術というものがありますね。睡眠にも戦術があり、ただ眠れているだけでは“守りの睡眠”にしかなりません。遠征や試合のスケジュールに合わせて、本番にベストのコンディションで向かうための睡眠。積極的に睡眠を使いこなす“攻めの睡眠”を是非多くの人に身につけていただきたいと思っています」
ヒラノ氏は野球選手のコンサルティングも行っているが、野球選手の場合、睡眠の影響は特に顕著だという。
「たとえばピッチャーの場合、先発のピッチャーと中継ぎのピッチャーとでは生活のリズムが大きく変わります。先発のピッチャーが投げるのは週に一回ぐらい。出番も早く、終わるのも早いです。でも中継ぎや抑えのピッチャーになると毎回ベンチ入りして、いつ呼ばれて投げることになるのかわからないので、ずっと緊張状態にあります。またナイターの多い1軍か、デイゲームの多い2軍かによっても生活習慣、つまり睡眠の取り方が変わりますね。1軍から2軍へ、あるいは逆に変わったことによってリズムが乱れ、体調を崩してしまう選手は少なくないんです」
ヒラノ氏がサポートをしたある野球選手は、それまでずっと怪我続きだったのが、睡眠を武器にすることによって、怪我なくシーズンを終えることができたのだという。しかも、あるとき肉離れを起こしたのだが、同時期に同じく肉離れを起こした選手より回復が早かったことは、周囲を驚かせたのだそうだ。
「ある研究により、怪我が治癒するために必要な体内でのコラーゲンの生成は、体内時計の影響を受けることがわかっています。実際に、体内時計が乱れていると、怪我の治癒に、寄り時間がかかることが研究でも明らかになっています。現役時代が短く一日一日が勝負のアスリートにとって、怪我の治癒に架かる時間というのは、決して短いものではなく、ライバルとの間に大きな差を生みかねません。だからこそ、睡眠をもっと大事に考えていただきたいですね」
