2025年度(1月~12月)に反響の大きかったルポ・ひきこもりからの脱出記事ベスト5をお届けする。第2位は、幼少期に親から十分な愛情を受けられずに育った63歳のひきこもり男性を取材した記事だった(初公開日:2025年7月26日)。
佐野靖彦さん(63)は幼少期に親から十分な愛情やケアを受けられなかった。大人になっても他人とうまく関係を作れず、仕事を辞めて逃げることをくり返した。30社近くを転々として経済的にも困窮。うつ状態になり、何度もひきこもることに……。いったい彼の人生に何があったのか。(前後編の前編)
「自分の感情は全部押し殺していた」
佐野靖彦さん(63)の生い立ちは壮絶だ。
岡山県で一人息子として育ったが、実は双子の兄と3歳下の弟がいる。生活が苦しくて両親が子を育てることができなくなり、兄は父方の祖母と伯母に引き取られ、弟は生後半年で国際養子縁組されてアメリカに渡った。
佐野さんが物心ついたときにはキャバレー勤めの母親と二人暮らしだった。間借りしていた6畳間は悪臭を放つヘドロの川に面しており、夜遅く帰宅する母を大家さんの家で待つのが日課だった。
そんな生活は、小学1年生のとき一変する。刑務所で服役していた父親が出所して戻ってきたのだ。
「うちの親父はね、ヤクザとしても中途半端で、仕事はするけど続かない。入れ墨彫っているから夏場でも絶対長袖だし、酒好き、女好き、博打好き。あちこちで金を借りては外で遊びほうけていたわけ。家にいるのは金がないとき。で、その憂さを晴らすために、酒を飲んで母親を殴る。本当は気が弱いのに『口答えすな』っていうのが口癖で、うちの帝王だったから、逆らうことができない。
そんな中で育ったから、自分の感情は全部押し殺していた。母親は父親の顔色を窺い、自分の身を守ることで目いっぱい。他者をおもんぱかる能力がないっちゅうか、軽度の知的障害だったんだと思う。母親に抱きしめられた記憶は一切ないよ」
借金が返せなくなると、そのたびに一家で逃げた。引っ越した回数は、小、中学校で合わせて12回。小学校は3回変わった。クラスに馴染んだころに転校してしまうので、本音を話せる友だちもできなかった。
佐野さんが中学生のとき、両親は協議離婚したが、半年後には再び同居。
佐野さんは父親の母校である工業高校の建築科に進んだ。サッカー部に所属し、夜8時に帰宅。11時から建築の設計の勉強を始め、朝方5時まで没頭。努力の甲斐があり、建築の知識やデザインを競う大会で金賞を獲得した。
「父親にほめられたいがために、アホみたいに勉強したっちゅうこと。賞を獲ればね、ほめてもらえると思うじゃん。で、親父に言ったら、『お前1人じゃないやないか』って。実は、金賞は全国で5人いたわけ。素直に喜べよって思ったけど(笑)、ヤクザって、カッコつけるから。母親からは『父親は俺を怖がっていた』と聞いたけどね」
会社からも恋人からも「逃げた」
高校卒業後は設計事務所に就職した。入社3年目に同じ高校出身の先輩が事務所を立ち上げ、佐野さんも誘われて移った。新しい事務所は少数精鋭で、高い技能を要求されたが、現場経験の少ない佐野さんは委縮して焦るばかり……。
「ずっと父親を怒らせないようにイエスマンに徹してきたせいか、わからないとかNOが言えなかった。相手に何か言われると、親父に怒られたときの恐怖が蘇ってきて、ビクッとしちゃう。そういう本音を隠して働いて、我慢に我慢を重ねて、結局、逃げちゃった。『辞めたい』とも言えずに、バックレたんです」
そのころ佐野さんには付き合っている恋人がいた。相手は、行きつけだったお好み焼き屋の看板娘。2歳年上の彼女は結婚したがっていたが、佐野さんは会社をバックレただけでなく、彼女からも逃げてしまう。
「だって、自分が生きることに自信がないんだもん。相手を背負っていくだけの実力はないわな。彼女の通勤用に当時のお金で3万円以上した自転車を買って、『これ、クリスマスプレゼント』と鍵だけ渡してさ。粋なことをしていたわけ。でも、彼女に甘えられても、どうしたらいいのかわからない。
相手を信頼して“甘える、甘えさせる”っていう人間関係、知らないからさ。都合が悪くなると、親がしていたように、『逃げる』ことしかできなかったわけ」
バックレた代償は大きく、狭い建築業界内でこんなうわさが広がってしまう。
「あれだけ迷惑かけて、あいつまだ岡山にいるぜ」
佐野さんは2級建築士の資格を持っていたが、その後は、木工会社、工務店、販売店などを転々とした。家賃と光熱費を払うため、肉体労働に就いたことも。だが、何の仕事をしても、人間関係がうまくいかなくなり、辞めてしまうことをくり返した。
「20代で働いた10社のうち、バックレは6社。短いところは1か月くらい。バブルで求人もいっぱいあったし、逃げても、探せば仕事はあると、高をくくってたっちゅうのもあるよ」

