ユートピアを求めて共同体の暮らしに
23歳のとき、農業・牧畜業を基盤としたユートピアを目指す共同体に出会った。当時は全国で生産物の販売フェアを実施していたので、自分の仕事の合間に販売を手伝ったりしていた。
「もう一度設計をやりたいと29歳で設計事務所に入ったんだけど、そこからも逃げたから、岡山に居場所がなくなってさ。たまたま渡りに船って、その共同体に逃げたわけ」
最初は配送の仕事をしていたが、「もっと本格的にやりたい」と思って、手伝いだけでなく共同体の運営地で暮らすことにした。
だが、そこでも、孤立してしまう――。
「みんなで仲良く家族になろうみたいな理念があって、やっぱり、どっかでそういうものを求めていたんだな。でも、自分は人を信用できなかったから、本当に打ち解けるっちゅうこともなくて、家族愛がうっとうしくなっちゃう面もある。そこにいる人って、自分の親と仲がいいんだよ。会員同士の結婚も多かったけど、自分だけが異星人、異邦人で、結婚の話も来なかったしね」
結局、運営地には5年間いて、98年に36歳で社会に戻った。
何度もひきこもり、うつ状態に
再び、仕事を転々とする生活が始まる。年齢を重ねた分、仕事の職種も限られてくる。最初に勤めたのは都内の配送会社だが、同僚に馴染めず2か月で辞めた。地方の工場派遣の仕事は寮もあり、黙々と検品をする仕事で向いていた。
だが、年下の若い社員たちから「派遣なのに自分たちより正確で手早い」と妬まれてしまう。嫌がらせをされた挙句、クビを切られてしまった。
コンビニの面接を受けに行くと、事業主に「設計をやっていたようなインテリが、なんでうちみたいなところに来るんだ」と嫌味を言われ、父親に怒られたときの記憶がフラッシュバックしてしまったという。
「人間関係そのものが、どんどん怖くなっちゃった。で、家から出ないでひきこもって、仕事を辞める。ずっとひきこもっていると経済的に困窮するから、ご飯に塩だけの生活が続いたこともあるよ。で、焦って、次の仕事を決めて、また、ひきこもって辞めちゃう。17年間で15社以上変わってます」
どうにもならなくなり、1年ほど母親に生活費を援助してもらったこともある。両親は岡山から逃げて関東を転々。神奈川県の専門学校で住み込みの管理人をしていたのだが、佐野さんが共同体で働き始めた年に父親が死去。その後、母親は1人で管理人を続けていた。
母親に頼むとお金は出してくれたが、相談には乗ってくれず、自分の愚痴を延々と話すだけ。「やっぱり、この人は自分のことばかりだ」とがっかりしたそうだ。
佐野さんは次第に、うつ症状に悩まされるようになった。前向きな気持ちになれず、眠れない。肩こりや頭痛もひどくなり、体のだるさがずっと続く。ある朝、仕事に行こうとしても起きられなかった。
家にひきこもっていると、いろいろな考えが去来した。
「ずっとうだつが上がらないまま、どんどん年齢を重ねていくじゃん。焦りもあるよ。不安もあるよ。何で自分はこんなに仕事が続かないんだ。生きづらいんだと絶望して。せめて死ぬ前に、理由が知りたいなと思ったんだよね」
そして、佐野さんは思い切って、ある場所を訪れる――。
〈後編へつづく『人生の最後に自分の正体を知りたくなった63歳のひきこもり男性が“笑う練習”をしたら…』〉
取材・文/萩原絹代

