
【バイタルエリアの仕事人】vol.59 スベンド・ブローダーセン|葛藤の末、故郷を離れてJリーグでのプレーを決意。後押ししたのは同僚だった日本人選手
攻守の重要局面となる「バイタルエリア」で輝く選手たちのサッカー観に迫る連載インタビューシリーズ「バイタルエリアの仕事人」。第59回は、ファジアーノ岡山から川崎フロンターレへの移籍が決定したGKスベンド・ブローダーセンだ。
現在28歳のドイツ人GKは、4歳からザンクトパウリのアカデミーで育ち、2019年に当時2部だった同クラブのトップチームでプロデビューを飾る。その後、東京五輪のU-24ドイツ代表メンバーに選出された21年の夏に横浜FCに加入して日本でのキャリアをスタートさせた。24年には岡山に完全移籍し、守護神としてチームのJ1初昇格に貢献。そして今冬、川崎に新天地を求めた。
まずは岡山の悲願でもあったJ1昇格、その1年目となった今シーズンを振り返ってもらった。
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チームとして良いスタートが切れて、パフォーマンスはもちろん、それだけでなく、街がすごい盛り上がりを見せていたので、たくさんのエネルギーをもらえました。
“中国ダービー”では敵地でサンフレッチェ広島に(1-0)で勝利しましたが、その後、開幕から10試合ぐらいが終わったあたりから、最初の勢いが少しずつなくなってしまいました。柏レイソルや鹿島アントラーズなど上位チーム相手に勝点3を奪った試合もありましたが、シーズン終盤にはなかなか勝てない時期が続きました。
しかしクラブとして初のJ1ということを考えれば、1年を通して良いシーズンだったと思っています。すべてが完璧にいき過ぎてしまうと、目標がぶれてしまうかもしれない。より現実的に自分たちの立ち位置を見ながら、たくさんのことを学べたJ1での1年目だったと考えています。
昇格1年目でJ1に残留できた要因はやはり、開幕からスタートダッシュができたことだと思います。岡山の強みは、チームで戦う団結力です。毎試合、ゲームが終わった後に、全員が100パーセント出し切ったと感じています。それ毎試合それをやり続けるというのは、簡単ではありません。また誰かがゴールをした時には、必ずチーム全員で喜びを爆発させる。選手一人ひとりが全員で奪ったゴールだと感じていますし、逆にゴール守った時もチームみんなで防いだという気持ちがあります。そういう戦い方ができたのは大きかったです。
個人として今季のパフォーマンスを振り返っても、良いスタートを切れたのは間違いなく大きかったです。シーズンの序盤に失点が重なってしまうと、自分の自信を積み上げていくのが、難しくなってしまいます。自分はJ1でのプレー経験があり、このレベルでやれるのは分かっていました。もちろんチームも違えば、状況も異なりますし、日本のサッカーは年々進化しています。そのなかでも自信を持ってプレーできたことは本当に良かったです。
1年を通して安定したプレーができましたし、それは自分だけでなく守備の選手たちも同じです。シーズンの途中でいろんな選手の怪我による離脱などがあって、メンバーが入れ替わったりするなかでも、大きなアップダウンがなかったと思っています。
21年に日本に移籍するという大きな決断を下した。生まれ育った故郷を離れ、なぜJリーグでプレーする道を選んだのか。当時、ザンクトパウリでチームメイトだった宮市亮(横浜F・マリノス)の後押しもあったという。
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ドイツにいた時からいつも日本のカルチャーには興味を持っていました。例えばゴジラや遊戯王、ポケモンやベイブレードも。でも小さい頃はそれらすべてが日本発祥のものだとは知りませんでした。大人になっていくにつれてそれを理解して、より日本に関心が湧いたのを覚えています。
サッカーに関して言えば、僕のキャリアは、若い頃こそ上手く進んでいましたが、徐々にザンクトパウリで試合に出られる可能性が高くないと感じるようになりました。ベンチに座る日々が続き、クラブでの将来のビジョンが描けなくなっていました。もしこのクラブに残ったとしても、今後、思うように進んでいかないのではないか。ずっと自分の立場は変わらないのではないか。とも考えました。
他のブンデス2部のチームに移籍するにしても、ゴールキーパーのポジションは1つしかないわけで、1番手になれる感じでもなかった。自分のキャリアを考えた時に、もう1度、この先4年ぐらいドイツに残って正GKになる努力をするのか、それとも国外に出て、サッカーというスポーツを通して、人生において大事なことや気づきを探しに行くのかを考えて後者を選びました。
そこで日本への移籍を後押ししてくれたのは、当時、ザンクトパウリでチームメイトだった宮市亮選手(横浜F・マリノス)でした。彼とは6年間ぐらいロッカーがずっと隣だったので、いろんな話をしましたし、もちろん日本についてもたくさん教えてもらいました。その中で彼が日本と自分を繋いでくれたと思っています。今でも交流があって、僕の奥さんは彼と同じ愛知出身なので、シーズンオフの間に名古屋で会う予定です。僕が横浜に住んでいた時にはよく会っていましたが、岡山からは少し遠いので試合の時に話をしたり、たまに電話やLINEでやり取りをしていました。
日本でプレーするにあたって、適応する上で1番意識したのは、国民性といいますか、考え方や文化を理解することです。例えば、我慢強さというのはドイツにはない日本特有の文化だと自分は思っています。来日した当初、その我慢強さは自分に足りないパーソナリティでした。それを学ぶことによって、いろんな物事を落ち着いた視点で見られるようになり、状況が良くない時にも、冷静に判断できるようになりました。
※後編に続く。次回は12月24日に公開予定です。
取材・構成●中川翼(サッカーダイジェストWeb編集部)
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