
夜の森で撮影された1枚の写真が、研究者の目を釘付けにしました。
ヘラジカの目の下に、まるで「もう2つの目」が浮かび上がっているように見えたのです。
その正体は、花の蜜ではなく、ヘラジカの目から流れる涙を吸う複数の蛾でした。
これまで主に熱帯で知られてきた涙を飲む行動が、北米の森で初めて明確に記録されたのです。
研究の詳細は米バーモント大学(UVM)により、2025年11月20日付で科学雑誌『ECOSPHERE』に掲載されています。
目次
- 偶然が捉えた「涙を飲む蛾」
- なぜ蛾は涙を飲むのか
偶然が捉えた「涙を飲む蛾」
2024年6月19日の未明、アメリカ北東部・バーモント州のグリーンマウンテン国有林で設置されていたトレイルカメラが、思いがけない光景を記録しました。
野生動物調査の一環として設置されていたカメラには、オスのヘラジカの顔の周囲を舞う蛾の姿が80枚にわたって写っていました。
写真を確認していた研究者は、最初は違和感の正体が分からなかったといいます。
しかし連続写真を追ううちに、それが蛾による「涙飲み」であることが判明しました。
蛾が動物の涙や目の分泌物を摂取する行動は「ラクリファジー」と呼ばれています。
この行動は、アマゾンなどの熱帯地域では、カメやワニ、鳥類などを相手にした事例が知られていました。
一方、熱帯以外の地域で確認された例は極めて少なく、これまで確実な記録は、ウマの涙を飲む蛾が1例報告されているだけでした。
ヘラジカを相手にした今回のケースは、北方地域では事実上初めての記録となります。
なぜ蛾は涙を飲むのか
蛾やチョウは、基本的には花の蜜から栄養を得ています。
しかし一部の種は、土壌や動物の死骸、人間の汗などからミネラルを補給することが知られています。
この行動は「パドリング」と呼ばれ、特にナトリウムの摂取に役立つと考えられています。
涙を飲むラクリファジーも、同様に栄養補給が目的とみられています。
涙にはナトリウムなどの電解質が含まれており、環境中で不足しやすい栄養素を効率よく得られる可能性があります。
また、植物の蜜では不足しがちなタンパク質を補う手段である可能性も指摘されています。
一方で、この行動がヘラジカにとって無害かどうかは分かっていません。
研究者は、蛾が目の周囲を訪れることで、角結膜炎などの病原体を媒介する可能性を指摘しています。
ただし、これまでに涙を飲む蛾が病気を広げた明確な証拠はなく、現時点では仮説の段階にとどまっています。
今回の写真は、約500地点で24万枚以上撮影されたヘラジカの画像の中で、唯一ラクリファジーが確認された例でした。
その希少性は、この行動がどれほど見逃されやすいかを物語っています。
蛾がヘラジカの涙を飲むという行動は、奇妙であると同時に、生態系の奥深さを感じさせます。
研究者たちは、この行動が本当にまれなのか、それとも単に観察されてこなかっただけなのかを見極めようとしています。
夜の森で静かに起きている小さなやり取りは、私たちがまだ知らない生き物同士の関係を数多く秘めているのかもしれません。
今回の発見は、「自然界では当たり前でも、人間が気づいていない行動がまだ多く残されている」ことを、改めて示しているのです。
参考文献
Trail Cameras in Vermont Captured Something Strange: Moths Sipping a Moose’s Tears
https://www.smithsonianmag.com/smart-news/trail-cameras-in-vermont-captured-something-strange-moths-sipping-a-mooses-tears-180987866/
For The First Time, Moths Have Been Captured On Camera Feeding On Moose Tears
https://www.iflscience.com/for-the-first-time-moths-have-been-captured-on-camera-feeding-on-moose-tears-81985
元論文
Observations of tear-drinking by lepidopterans on moose (Alces americanus americanus) in northeastern North America
https://doi.org/10.1002/ecs2.70422
ライター
千野 真吾: 生物学に興味のあるWebライター。普段は読書をするのが趣味で、休みの日には野鳥や動物の写真を撮っています。
編集者
ナゾロジー 編集部

