
生まれも育ちもLA。異色のルートで手繰り寄せた日本代表入り。若き守護神・村松秀司が歩んだ軌跡【独占インタビュー前編】
生まれも育ちもロサンゼルス。異国の地でキャリアを歩んできた選手がいる。今秋のU-17ワールドカップで背番号1を託され、日本のキャプテンとして目覚ましいプレーを見せたGK村松秀司だ。
ロサンゼルスFCのアカデミーで技を磨き、昨秋には16歳でBチームに昇格。フィジカルの強さを活かしたシュートストップと、圧倒的なリーダーシップで評価を高めてきた。その一方で日本でのプレー経験はなく、初めてナショナルチームを経験したのもアメリカだった。そんな男はいかにして日の丸を背負う選手に成長を遂げてきたのだろうか。
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2008年6月8日。アイルランド系アメリカ人の父と日本人の母のあいだで“Ethan Scally”こと村松秀司は生を受けた。子どもの頃から活発で様々なスポーツに触れてきたという。
「水泳、テニス、野球、アメフト。本当にいろんなスポーツをやっていましたね」
そのなかでサッカーを本格的に始めたきっかけは、「トライアウトを受けてみたら?」という母の誘いだった。近くのクラブに赴くと、見事に合格した。
「自分の家族も驚いたんですけど、本当にやりたいのかを聞かれて『やりたい』と伝えたら『入っていいよ』と言われたんです」
村松が8歳の時だった。
サッカーを始めてから、遊びではSBなどをやったこともあったが、ポジションはGK一筋。最後尾から仲間を鼓舞しながら幾度となくピンチを救ってきた。「最初はゴールを取りたい」という気持ちもあったが、GKの面白さに目覚めた村松は、恵まれた体格を武器としたプレーでメキメキと頭角を現していく。
12歳からはロサンゼルスFCの育成組織に身を置き、さらなる成長を目ざして鍛錬を積んだ。すると、15歳の時にU-15アメリカ代表から声がかかる。しかし、そこでは思うようなプレーができず、悔しい想いを味わった。
その後はアメリカ代表に招集されなかったが、村松には一つの想いがあった。日本代表でプレーしたい。その気持ちを誰よりも強く持っていた。
そこで村松は動く。もともとは大学進学のために自身のプレー集を自ら制作していたなかで、その動画をクラブスタッフの紹介で日本サッカー協会のスタッフに送るようになった。何度か続けていると、ついにその時が訪れる。25年秋のU-17ワールドカップを目ざすチームで招集された。昨年12月のことだった。
「嬉しさはちょっと伝えられないくらいで、言葉にできないほどの喜び。やっと日本代表まで来られたし、同時にここで終わってはいけないという気持ちもありました。そして、代表のユニホームで“村松”の名前を名乗ってプレーできる喜びとプライドもあって、代表のエンブレムを背負って戦える気持ちは本当に言葉にできません」
“初代表”の嬉しさを噛み締めながら、臨んだスペイン遠征。初めて日本の選手たちと顔を合わせたのはもちろん、日本人だけのチームでプレーするのも初めてだった。日本語での会話は問題ないが、細かいニュアンスなどは難しかった。そのため、コミュニケーションで苦労する時もあった。それでも、村松は持ち前のハートの強さを示し、仲間たちと同じ時間を共有するなかで理解を深めていく。
「選手の名前を覚えるのが大変だった、緊張し過ぎていて、コミュニケーションもうまく取れなかった。でも、少しずつ名前を覚えて、コミュニケーションでも選手の特徴を覚えながら、ポイントを押さえて理解できるようになったと思う」
プレー面では日本のレベルの高さに驚いた。FW浅田大翔やFW吉田湊海らが放つシュートは凄まじく、簡単ではなかったという。
「吉田とか浅田とか、全員のシュートをなかなか止められなくて」
スペインとの試合(2−2)で“日本代表デビュー”を飾ったが、強豪国のレベルにも圧倒された。
「前半に2つほど良いセーブがあって“俺、できるぞ”という考えがよぎって、後半が始まって自分のせいで2失点してしまったので...」
悔しさを味わった一方で、代表選手として戦う喜びや日本のレベルを知るきっかけにもなった。
「今までにない緊張もあったけど、日本代表は凄いという感情が湧いたし、この力を世界で見せたいという想いが強くなった」
初めての遠征はポジティブなイメージを持って終えた。そうプラスに捉えられる思考は、父の教えがあったからでもある。
「できるだけネガティブな話はしないで、ポジティブな姿勢でコミュニケーションを取るように教わった」
決して他責にせず、自分にベクトルを向けながらチームのために全力を尽くす。その姿勢は育った環境が大きい。
そして25年2月のパラグアイ遠征を経て、迎えた同年4月。村松の姿はサウジアラビアにあった。U-17ワールドカップのアジア最終予選を兼ねるアジアカップのメンバーに選出。背番号も守護神の象徴である1番となった。
さらに、チームのために戦うスタンスを感じ取った廣山望監督から、村松は副キャプテンに指名される。代表デビューからわずか4か月でチームを束ねる立場になるなど、予期できるわけがない。当時の心境を振り返り、村松はこう話す。
「スペイン遠征で自信を得られたけど、そんなに信頼してもらっているというのは知らなくて。海外組という経験値もあったかもしれないけど、本当にびっくりしました」
責任は重大。アジアカップで主将を託された浅田とともにチームを引っ張る存在となり、モチベーションを高めて大会に向けて準備していた。
しかし――。大会2日前にまさかの出来事が起こる。練習中にキックをした際に足を痛めたのだ。幸いにも重傷ではなく、離脱を免れたが、初戦からピッチに立つことは難しくなった。UAE戦(4-0)、ベトナムとの第2戦(1-1)は先発から外れる。
「どんな形であれ、チームに迷惑をかけたくない。サッカー選手として本当に難しい感情を抱いたのを覚えています」
村松は悔しさを味わうと同時に、焦りを覚えた。(後編に続く)
取材・文●松尾祐希(サッカーライター)
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