大きすぎた「東宝の器」
もし本作が、テアトル系や単館・ミニシアターを中心とした規模での公開(数十館スタート)を選んでいたら……。「細田守が挑んだ、硬派なアートアニメーション」として、映画好きが連日劇場に詰めかけ、「傑作なのに見られない!」という嬉しい悲鳴がSNSを埋め尽くしていたかもしれません。
しかし、一つの厳然たる制約条件があります。本作は、制作費だけで推計25億円が投じられたとも言われる超大型プロジェクトです。回収ラインを考えれば、全国300館規模の大規模公開(ブロックバスター戦略)以外に選択肢がなかった、というのが実情でしょう。
ここに、今回のジレンマがあります。
作品の中身=企画やコンセプトは「じっくり育てるべき意欲的な良作」であるにもかかわらず、プロジェクトの規模がそれを許さず、初速からロケットスタートを求められる「マスの土俵」に上げざるを得なかった。
ビジネスとして回収しなければならない要請と、新機軸に挑戦したい作家にどんな「適切な場所」を用意できるかというプロデュースのバランス。この両者の間で、「器(配給網)」と「中身(作品性)」のミスマッチが起き、不幸な空席を生んでしまったと言えます。
「興行成績」だけで価値を決めないために
「大作監督だから、次も全国300館でやらなければならない」
これが前提となったことで、結果として野心的な良作の足を引っ張ってしまったのだとしたら……これほどもったいないことはありません。
例えば、スタジオジブリの宮崎駿監督が、実験的な短編作品(『毛虫のボロ』など)を「三鷹の森ジブリ美術館」という“閉じた場所”で公開しているように、作家性の強い作品には、それにふさわしい「場所」と「サイズ」があるはずです。また、各地で開催が続くアニメ映画祭などを活用し、商業的な興行に乗せる前に作品の「熱」を高める仕組みも、もっと活用されていいはずです。
日本のアニメが世界で評価される今だからこそ、ビジネス側も「マスの論理」一本槍ではない、多様なエコシステム・選択肢を持つべき時期に来ているのではないでしょうか。もちろんファンの側にも大作監督の「新機軸」を受け止める器量が求められると思います。それこそが、日本のアニメをこんなに多彩な世界にしているのですから。
興行成績という数字だけで、この作品の価値が断じられてしまうのは忍びない。劇場からの帰り道、筆者はそう願わずにはいられませんでした。良い作品なのでぜひ皆さん見てください。

