
U-17W杯で活躍、多くのプロクラブが興味「このチャンスは掴まないといけない」。若き守護神・村松秀司の冒険は続く【独占インタビュー後編】
アメリカでキャリアを積み重ね、やっとの思いで日の丸を背負ったGK村松秀司。廣山望監督が率いるU-17日本代表で副キャプテンを託され、U-17ワールドカップのアジア最終予選を兼ねるアジアカップに参戦したが、開幕直前で負傷。初先発となったグループステージ第3節のオーストラリア戦では思うようなプレーができなかった。
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今年4月に幕を開けたU-17アジアカップ。グループステージを突破した各組1、2位の計8か国にU-17ワールドカップの出場権が与えられるレギュレーション。日本は第2節終了時点で1勝1分けの首位。数字上では優位に立っていたが、まだ何も決まっていない。そうした状況で、村松は第3節のオーストラリア戦でスタメン起用された。
前半開始早々に先制点を奪うまでは良かったが、そこから3点を奪われる。終了間際にFW谷大地が1点を返し、2-3でタイムアップ。他会場の結果により、日本は2位を確定。世界大会行きのチケットを手にした。
準々決勝ではサウジアラビア(2-2/4PK5)に敗れ、帰国の途に着いた村松。初めて日本代表として臨んだ公式戦は、苦い思い出として脳裏にこびりついた。
「あの試合に日本サッカー、U-17代表のすべてが懸かっている。サッカー人生が自分に託されている重圧があったので、ちょっと記憶があんまりないし、試合が終わってからは結果がどうなったか分からなくて涙を流してしまった」
開幕前のアクシデントは不運で、初出場が大一番となったオーストラリア戦、そうしたいくつかの事象も含め、難しい状況だったのは間違いない。本来の実力を発揮できたとは言い難かった。
「アジアの戦いでは気持ちのコントロールがうまくいかず、悪いプレーばっかりになってしまった」
ただ、そうした経験が次に生きる。アジアの戦いから7か月後。村松はカタールでU-17ワールドカップを迎える。それまで所属クラブでコンディションを整え、練習から努力を重ねた。夏にはJクラブのアカデミーでも練習を積み、新たな刺激を受けた。
背番号は「1」。さらに今大会ではキャプテンという大役を任された。
普段、生活しているカリフォルニア州では17歳から運転免許の取得ができるため、村松はすでに学校に車で通っている。代表の遠征には一人で飛行機を乗り継いで、チームに合流するのは日常茶飯事。ある意味、自立した姿も含め、廣山監督はキャプテンに相応しいと判断したのだろう。
何気ない振る舞いでも仲間たちの信頼を得ており、あまりの落ち着きぶりに“パパ”というニックネームがついたほどだった。
大会前からチームをまとめ、本大会ではレギュラーとして奮闘。第2戦のニューカレドニア戦(0-0)こそ出番はなかったが、その他の試合はフルタイム出場を果たした。
アフリカ王者のモロッコと戦ったグループステージの初戦(2-0)や、欧州王者のポルトガルとの第3節(2-1)。抜群のパフォーマンスだった。パワーを活かしたハイボールを処理。ゴールの上隅を狙われたシュートにも素早く反応し、得点を許さない。
日本は2勝1分けの成績でグループを首位突破。ラウンド32の南アフリカ戦(3-0)でも完封勝利に貢献。そして、最大のハイライトとなったのがラウンド16の朝鮮民主主義人民共和国戦(1-1/5PK4)だ。
ロッカーアウトの時点から相手は闘う姿勢を前面に出し、試合開始前の挨拶ではハイタッチではなく、殴りかからんばかりの“グータッチ”で対応してきた。そうした異様な雰囲気にも飲まれず、村松は冷静に対応する。30分過ぎにはPKを阻止。チームを救うファインプレーだった。
「色々あったけど、自分たちのプレーで断ち切っていくしかないという気持ちでいました。ハーフタイムにもいろんな話をして、惑わされずにやろうと伝えた」
後半に追いつかれたものの、PK戦では仲間を鼓舞。5人目のFW浅田大翔が決めれば勝利という場面では、DPRコリアの選手が日本のリズムを乱そうと試みる。しかし、村松は咄嗟の判断で割って入った。
「相手のキーパーがゴールに入ったボールを取られないように邪魔してきたので、自分が奪って浅田に渡したタイミングで、今度はDPRコリアの選手が何か言いにきたんです。浅田がプレーに集中できるように、考えずに瞬時の判断で割って入ったんです。俺のチームメイトの集中を切らせたくないという気持ちだったので」
まさにキャプテン。頼れるリーダーの隠れたファインプレー後に浅田はPKを決め切り、日本は11年大会以来となるベスト8進出を決めた。
続く準々決勝でオーストリアに0-1で敗れたものの、日本の躍進は村松なくして語れない。仲間と戦った日々は財産で、世界の舞台は自らの未来を変える契機になった。
大会が終わると、村松のもとにはオファーが舞い込んだ。当初はアメリカでも10位以内に入る難関大への進学を目ざす予定だったが、U-17ワールドカップで世界の猛者たちと戦ったことで、村松の心境が変化した。
多くのプロクラブから話があり、家族と相談することになった。大学進学を望んでいた父や母を1か月間かけて説得。サッカーでのキャリアを継続しながら大学に通うという条件で、プロ入りにゴーサインが出たという。
「子どもの頃からプロサッカー選手になりたいと思っていた。それは誰もが抱く夢だと思うけど、ワールドカップで良い経験ができて、これほど話が出てくるとは思わなかった。家族と話して、オンラインで通える大学に行きつつ、プロの世界で勝負します」
現状で進路は確定していない。本格的に契約の話を進めるのはこれからになるが、覚悟は決まった。
「簡単じゃないのは分かっているけど、自分は夢にかけたい。ここまできたら、このチャンスは掴まないといけないし、村松やScally(アメリカでのファーストネーム)という家族の名前を背負い、家族のために戦わないといけない」
日本サッカー協会に動画を送り、勝ち取った代表入りからわずか1年。自らの手で道を切り拓いた男の挑戦は次のステージに移る。
プロでの成功はもちろん、27年のU-20ワールドカップや28年に“地元”で開催されるロサンゼルス五輪、そしてその先のワールドカップへ。誰からも愛され、頼られる守護神の冒険に今後も注目したい。
取材・文●松尾祐希(サッカーライター)
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