現地時間12月22日、オレゴン州ポートランドのモーダ・センターで行なわれたポートランド・トレイルブレイザーズとデトロイト・ピストンズの一戦は、ジェイレン・デューレンの26得点を筆頭に、6人が2桁得点をあげたピストンズが110-102で勝利を収めた。
この試合のハーフタイムには、球団史を称えるイベントとして、1999-2000シーズンにカンファレンス決勝へ進出した当時の選手とスタッフが集結した。
出席者は、元選手のデイモン・スタッダマイアー、スティーブ・スミス、ボンジ・ウェルズ、ブライアン・グラント、グレッグ・アンソニー、ステイシー・オーグモン、アントニオ・ハービー、ジョー・クライン、当時のHC(ヘッドコーチ)マイク・ダンリービーHC、ゼネラルマネージャーのボブ・ウィツィット、トレーナーのジェフ・クラークが名を連ねた。
1人ずつメンバーが紹介されるなか、最もファンから大きな歓声を浴びたのは、1997年から2000年まで在籍したビッグマンのグラントと、地元オレゴン出身で98年から05年までプレーした司令塔のスタッダマイアーだった。
前日に集まり、当時の試合や思い出を振り返ったというスタッダマイアーは、スピーチでこう語った。
「このグループがどれほど特別だったか、本当のところは誰もわかっていない。もちろん今日は来られなかった仲間もいる。でも、この24時間でたくさんの思い出を語り合い、お互いがどれだけ大切な存在だったかを、改めて確かめ合ったよ」
00年のブレイザーズには上記の選手以外にも、スコッティ・ピッペンやラシード・ウォーレス、アルビダス・サボニス、デトレフ・シュレンプなど実力者が多数在籍。レギュラーシーズンではウエスト2位の59勝をあげ、プレーオフでは1回戦でミネソタ・ティンバーウルブズ、カンファレンス準決勝でユタ・ジャズを危なげなく下し、ロサンゼルス・レイカーズとのカンファレンス決勝へと駒を進めた。
ブレイザーズは4試合を終えて1勝3敗とレイカーズに王手をかけられたが、第5、6戦と連勝しタイに持ち込む。さらに敵地での第7戦では第4クォーター開始時点で13点のリードを奪い、NBAファイナル進出へ大きく前進していた。
しかし、第4クォーターに入るとチームは13本連続でシュートをミスし、7分以上も無得点。その間にレイカーズに追い上げを許し、最後はコビー・ブライアントからシャキール・オニール(シャック)へのアリウープが決まり、ブレイザーズは悪夢の逆転負けを喫した。
スタッダマイアーは、いまだにこの一戦を見返したことがなく、スミスは一度だけ、仕方なく見たきりだという
スミスが「いい思い出じゃない」と語れば、スタッダマイアーも「つらいんだ。多くの仲間が、いまだにあの試合を見ていない。テレビで映ったら、すぐにチャンネルを変えるよ」と胸中を吐露し、今もなお整理しきれない思いをにじませた。
一方、HCのダンリービーは、悪夢の第4クォーターを今も鮮明に覚えているという。
「13点リードで始まって、最初のプレーはスティーブに入り、彼がポストで決めて15点差になった。そこから13本連続で外した。13本のうち11本は最高のショット、残り2本も良いショットだった。スコッティのロングレンジは完全にフリーだったし、1回のターンオーバー、1回のローテーションミス以外は本当に素晴らしい内容だったんだ」
ダンリービーはそう振り返りながらも、こう締めくくった。
「それでも私は、このチームとこのシリーズの素晴らしい記憶を持っている。あの時、我々は“優勝に手が届く”と信じていた」
ファイナル進出にあと一歩まで迫りながら、手の中から勝利がこぼれ落ちた苦い記憶――。それでも、00年のブレイザーズは、その後3連覇を成し遂げた“シャック&コービー”のレイカーズを最も苦しめたチームとして、今後も語り継がれていくだろう。
構成●ダンクシュート編集部
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