
エストニアのタルトゥ大学(タルトゥ大)などで行われたレビュー論文により、AIに人間のような意識を宿すには「正しいコード(プログラム)」だけでは足りないかもしれない、という見方が示されました。
私たちはつい、AIを大きくして計算量を増やせば、そのうち意識も芽生えると想像します。
しかし研究者らは、脳の計算は「意識のソフト」や「意識のハード」をきれいに切り分けられるデジタル計算とは性質が違い、計算が動く“素材”そのもの(神経細胞、電気の広がり、イオンの動き、エネルギー制約など)と一体になっている可能性がある、と述べています。
研究内容の詳細は2025年12月17日にオンライン先行公開され、2026年2月号の『Neuroscience & Biobehavioral Reviews』に収録される予定です。
目次
- 「意識はソフト、脳はハード」という考えには罠がある
- 意識はアルゴリズムより「計算する物質」に近いのかもしれない
- 合成意識を目指すなら、どこから作り替えるべきか
「意識はソフト、脳はハード」という考えには罠がある

SFやファンタジーの世界では、他人の脳に自分の意識を流し込むことで、新たな肉体を手に入れるという設定が数多く存在します。
「意識はソフト」で「脳はハード」という説明は、とても便利で、多くの人々に納得しやすいものだからです。
実際、これまでの人工意識の議論の中心には、計算機能主義と、生物学的自然主義の二つの陣営がありました。
前者の計算機能主義では「正しいプログラムさえあれば意識は生まれる」と考え、「その意識プログラム」を上手く動かすにあたりハードとなるのはシリコンチップでも生体細胞から成る脳でもなんでもかまわないという立場をとります。
一方、後者の生物学的自然主義は、神経細胞の性質や脳の状態はシリコンチップでは模倣しにくい特殊なハードであり、たとえ「意識のプログラム(意識ソフト)」が特定できても、意識のハードになれるのは生きている自然な脳に限られると考えます。
しかし既存の2つの理論のどちらも、「生物の計算とは何か?」をきちんと言葉にできているとは言いがたい状況でした。
「意識をソフト、脳をハード」という部分に着目するあまり、最もベースとなる計算の基本的な解釈や認識が十分になされていない可能性があったのです。
そこで今回研究者たちは、生きた脳ならではの計算原理が何なのかを洗い出し、それがなぜ意識に関わるのかを理論的に示そうとしました。
意識はアルゴリズムより「計算する物質」に近いのかもしれない

脳の本当の計算原理は何なのか?
答えを得るため著者らはまず膨大な先行研究を調査し、脳の計算がデジタル計算と何が違うのかを理論的に整理しました。その結果、脳の計算には二つの鍵となる特徴が浮かび上がりました。
一つ目は、デジタルとアナログの二重性です。
脳内ではニューロンの電気信号がパルス(デジタル的な発火現象)としてやり取りされますが、その裏側ではイオンの流れや電場のような連続的(アナログ的)変化が常に絡み合っています。
例えば、生物のニューロンの枝(樹状突起)にわずかな電流を流す実験では、電流が弱すぎても強すぎても反応が起きにくく、中くらいの強さのときだけ応答を起こすという結果が得られています。
「0」と「1」の違いを利用するのがデジタルだとすれば、脳は「0」と「1」だけでなく、「0.5」みたいな中間値も使っている、と言い換えられます。
脳はデジタルでもありアナログでもあるわけです。
二つ目の特徴は、境界の引きにくさです。
コンピューターであれば「ソフトウェア」と「ハードウェア」を分けて考えられますが、脳にはそのような境界をきれいに引きにくいのです。
脳はソフトでもあると同時にハードでもあり、ミクロな分子レベルから大きなニューロンネットワークまでの動きが切り分けられることなく繋がっています。
例えば脳で何かの信号を発しようとすると、必ずミクロの分子の動きやイオンの流れを伴います。
一方で、デジタルな計算機では、電気信号は流れても、分子レベルの複雑な動きは同じ形では伴いません。
つまり脳で何かをしようとするとミクロレベルの分子からマクロレベルのネットワークまで多層の動きが起こるのです。
このように生物の脳は「デジタルでもありアナログでもある(連続×離散)」「多層スケールの物理プロセス」という独特な計算原理で動いている訳です。
これはエネルギー効率を極限まで高めるために進化した戦略である可能性もあります。脳は限られたエネルギーで活動する必要があるため、無駄のない計算のためには階層をまたいだ緊密な連携が不可欠だったのかもしれません。
そして研究者たちはこうした特徴こそが意識を生み出す計算に深く関与している可能性があると考えています。
実際、著者らは、今のAIをいくら高性能化しても、計算の“あり方”そのものが脳とは異なるままでは意識の発生という肝心な部分が抜け落ちてしまう恐れがあると述べています。
言い換えるなら、意識とはアルゴリズムの問題ではなく、アルゴリズムを支える素材レベルの動き(物理プロセス)そのものが問題だ、と著者らは述べています。
要するに、意識をコードに変換するより先に、「意識が宿る計算とは何か」を素材レベルから定義し直せ、という提案です。
そして最後に、もし人工のシステムで意識に近い状態を目指すなら、こうした性質を満たすような新しい計算基盤――
①基盤となる物質が連続的な変化を豊かに表現できること、
②デジタルとアナログの場がきちんと結びついていること、
③ミクロからマクロまでの階層が互いに影響し合っていること、
④エネルギー制約が計算の形を実際に縛っていること、
などを満たすことが重要になる可能性があると述べています。

