嫁に針で突かれて「失血死」
趙雲の墓がある四川省大邑県や、故郷の河北省正定県に伝わる民間伝承の中には、趙雲の妻にまつわる耳を疑うような逸話も残されています。その妻の名は「孫軟児(そん なんじ)」です。
戦場で傷を負ったことがないと自慢する趙雲に、孫軟児はふざけて刺しゅう針で軽く突きました。すると針の穴から血が止まらなくなり、趙雲は失血死、あるいは「気が抜けて」死んでしまったというのです。
実は、日本にも非常によく似た最期を伝えられる武将がいます。徳川家康の最強の家臣・本多忠勝です。忠勝もまた、生涯57度の合戦で一度も傷を負わなかった無傷の猛将です。しかし晩年、小刀で細工物をしている最中に指を少し切り、自身の衰えを悟ってそのまま世を去ったと伝えられます。
英雄は完璧であればあるほど、その完璧さが破られた瞬間に死を迎える――そんな寓話のような伝説です。
趙雲の妻が誰だったのか? それは史書には残されていません。しかし、余白があったからこそ、後世の創作者は自由な妻を描くことができました。そこに馬雲?のような男勝りの女武将や寓話のような最期が描き出されたのです。
歴史の記述を変えることはできません。しかし空白を埋めることはできます。趙雲の妻をめぐる数々の「トンデモ設定」は、彼がいかに愛されてきたか、その象徴といえるでしょう。
