ノエルとリアムの「和解」を美談だと思っていない
再結成に感動している人は、兄弟の和解をハッピーエンドとして消費していない。
むしろ、和解してもしなくてもいい、それでも同じステージに立つこと自体が異常という距離感で見ている。
感動の対象は人間関係ではなく、「戻らないはずだったものが、一度だけ戻る」という事実だけだ。
オアシス再結成で盛り上がれる人は、新作が名盤になるとも、ツアーが完璧だとも思っていない。
音程がズレても、声が出なくてもいい。むしろそれを含めて、「本当に時間が経った」と確認するために盛り上がっている。
期待しないからこそ、裏切られない。この成熟した諦観が、再結成を楽しむ条件になっている。
オアシス再結成は「希望」ではなく「証明」
オアシス再結成で盛り上がれる人が求めているのは、未来への希望ではない。
確かに、あの時代、本気で信じられる音楽が存在した。
その事実を、もう一度目の前で証明してほしいだけだ。だから盛り上がる。そして、過剰に期待しない。
オアシス再結成とは、ロックがまだ“人生に作用していた時代”を知っている人間だけが反応する、最後のイベントなのかもしれない。
