11月10日に60歳となったエディ・アーバイン。F1ではジョーダン、フェラーリ、ジャガーで活躍した彼はなんといっても、1999年の活躍が多くのファンの記憶に残っている。彼は本来フェラーリでミハエル・シューマッハーをサポートするセカンドドライバーの役回りでありながら、この年は最終戦までタイトル争いを演じたのだ。
フェラーリは渋々ながらアーバインの王座獲得に向けて全面的にバックアップすることになったわけだが、これは当然、シューマッハーがイギリスGPの事故で長期欠場を強いられたことが大きく関係している。ただ、この年まで優勝すら経験したことのなかったアーバインがチャンピオンにあと一歩のところまで迫ったことは多くの人を驚かせた。
1996年にシューマッハーと共にフェラーリへと移籍したアーバインは、当時ベネトンで2度チャンピオンを経験していたシューマッハーを援護射撃する役割に徹し、ある意味捨て駒的な使われ方をしていた。これは反骨精神が強く、妥協を嫌うアーバインの性格とは相反する役割と言えたが、なぜ彼はそれを受け入れたのか?
それは、いつかシューマッハーを差し置いてフェラーリの寵児になれると強く信じていたからだ。そのためには“チャンス”が訪れるのを待つしかなかったが、それは意外な形でやってきた。
1999年の開幕戦オーストラリアGPは、予選を終えた時点では前年とあまり勢力図が変わっていないように見えた。フロントロウはマクラーレンのミカ・ハッキネンとデビッド・クルサードが抑え、シューマッハーは3番グリッド。その隣にはスチュワートのルーベンス・バリチェロが並び、アーバインは6番手だった。
ただ、ハッキネンはスペアカーでのスタートを選択したかと思えば、結局元のマシンに戻すなど、マクラーレン勢はスタート前から慌ただしかった。そしてフォーメーションラップが始まるとスチュワートの2台から白煙が上がり、スタートはやり直し。次のフォーメーションラップではシューマッハーがストールにより最後尾に回るなど、波乱の香りが漂っていた。
無事レースのスタートが切られると、マクラーレンの2台は圧倒的なスピードで後続を置き去りにした。3番手に上がったアーバインは4周終了時にはマクラーレン勢から10秒近く離されてしまった。これにより、オーストラリアGPは早くも大勢が決し、あとはハッキネンとクルサードのどちらが優勝するかのレースになると思われた。
一方で、マクラーレンのマシンにはテストから信頼性に一抹の不安があった。ITVの解説をしていたマーティン・ブランドルは「日曜の昼にその辺のチップショップ(フィッシュ・アンド・チップスの専門店)に行くのもやっとだろう」と皮肉っていた。
そしてその数周後、予感が的中するかのようにクルサードのマシンがピットガレージに戻ってきた。油圧系トラブルだった。これでハッキネンの独走劇になってしまう恐れがあったが、BARのジャック・ビルヌーブがクラッシュしたことでセーフティカーが出され、アーバインはハッキネンのすぐ後ろにつけることができた。
3周先導したセーフティカーはピットに戻り、ハッキネンはスロー走行で集団をコントロールしたが、ホームストレートに入ってもなかなか加速しない。コントロールラインを抜けるとアーバインがすぐさま前に立ち、首位交代。メカニカルトラブルを抱えたハッキネンはそのままずるずると後退してレースを終えた。3位以下を周回遅れにした前年の開幕戦を再現するかと思われたマクラーレンは、あっけなく散った。
アーバインを追いかけていたのはジョーダンのハインツ-ハラルド・フレンツェンとウイリアムズのラルフ・シューマッハー。そこに最後尾からスタートした兄ミハエルも加わろうとしたが、右リヤタイヤのバーストによって戦線離脱した。
それからもリタイアと順位変動が相次ぎ、レースは大混乱となった。サバイバルレースになったことで、下位チームであるアロウズのペドロ・デ・ラ・ロサと高木虎之介が入賞圏内6位争いをするに至った。
アーバインは冷静にレースをコントロールし、フレンツェンの追い上げを振り切ってトップチェッカー。自身初優勝を飾った。これでアーバインは、単なるシューマッハーの配下ではないことを証明するチャンスを得た。
シューマッハーがクラッシュにより足を骨折したイギリスGPを終えた時点での獲得ポイントは、ハッキネン40点、シューマッハー32点、アーバイン32点であった。開幕戦優勝による10点が効いて、アーバインは堂々タイトル争いに顔を出していたのだ。
その後はハッキネンの自滅や不運、そしてシューマッハーの代役となったミカ・サロのサポートにも助けられながら、アーバインは最終戦日本GPを前にハッキネンを4ポイントリードしていた。しかし決勝はハッキネン優勝、アーバイン3位となり、タイトル獲得はならなかった。ただ開幕戦での完璧な走りが、アーバインのキャリア最高のシーズンの礎となったことは間違いない。

