M-1が“祭り”であり続ける理由
一方、M-1グランプリはなぜ今も強いのか。その理由はシンプルである。
紅白が「今年を代表する歌手」を選ぼうとする番組であるのに対して、M-1は「その日の勝者」を決める番組だからだ。
M-1は、時代を代表している必要も、知名度がある必要もない。その瞬間に、一番ウケた漫才が勝つというシンプルな構造。なので視聴者は「納得できるかどうか」で議論できる。
さらに、紅白が“選ばれる番組”であるのに対し、M-1は“参加できる番組”と言えるだろう。
参加資格さえ満たせば、無名の芸人でも理論上は決勝に進める。この開かれた構造が、視聴者を単なる傍観者ではなく“当事者”に変える。
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紅白は「完成品」、M-1は「生成過程」
紅白に並ぶのは、すでに完成されたスターたちである。視聴者は、その成果を評価することしかできない。
対してM-1は、売れるかどうか分からない芸人が、人生を変えるかもしれない瞬間を見せる。
視聴者は“結果”ではなく、“過程”に立ち会う。
紅白は文化の「調停者」であり、対立を避け、摩擦を減らし、全方位に配慮する。しかし、aespaの炎上を見ればわかる通り、分断が進んだ社会では、調停はもはや機能しない。
その点はM-1と大きく違う。M-1は「裁判所」であり点数が出て、順位がつく。不公平だと感じても、議論が割れても、決定だけは下される。
この残酷さこそが、現代の“祭り”を成立させている。
