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紅白はなぜ失速し、M-1だけが“年末の祭り”であり続けるのか

紅白はなぜ失速し、M-1だけが“年末の祭り”であり続けるのか

テレビが終わったから、ではない

「テレビが終わったから紅白も終わった」という意見も多い。しかし、正確には「テレビは終わったのではなく、社会の中心ではなくなった」と言うべきだろう。

M-1はテレビを中心としながら、切り抜き動画や点数、審査への不満がソーシャルメディアで再燃し、放送後も生き続ける構造を持っている。

一方で紅白は、放送が終わった瞬間に物語も終わる。

紅白歌合戦は、戦後日本における文化の統合装置だった。M-1グランプリは、分断された社会に適応した競争装置である。

統合すべき「国民」が存在しない以上、紅白が再び国民的番組になることはない。しかし、それは敗北ではない。紅白が生き残るとすれば、国民を代表しようとすることをやめ、分断された文化を「並べて記録する儀式」へと役割を変えるしかない。

かつて紅白は「みんなで見る番組」だった。今のM-1は「みんなで揉める番組」である。

そして残念ながら、現代社会に残ったのは後者だった。

配信元: 週刊実話WEB

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