この現象はしばしば(ごく一部で)「日本社会が画一化している証拠」「個性が失われた結果」とも語られる。
では本当に、ユニクロの国民服化は社会主義化の兆候なのだろうか。
社会主義的なのは“統制”ではなく“安心”
まず確認すべきは、社会主義の本質が「全員同じ服を着ること」ではない点だ。
重要なのは、「差が生まれないこと」「競争しなくていいこと」「失敗が起きにくいこと」である。
ユニクロが提供しているのは、国家による統制ではなく、市場を通じて自発的に選ばれる平等感。これは社会主義というより、「競争から一時的に降りたい」という欲望の具現化に近い。
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ユニクロは“自己表現の放棄”を売った
ユニクロが革命的だったのは、「おしゃれ」を民主化したからではない。
むしろ「服で何かを語らなくていい」、「自分を説明しなくていい」という、自己表現の放棄を肯定したことにある。
これは社会主義的な思想ではなく、高度に疲弊した資本主義社会が自然に生み出した防衛反応とも言えるだろう。
