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序盤の中ボス「袁紹」「袁術」実は曹操なぞより超絶格上だった話 兄弟喧嘩で自滅?

序盤の中ボス「袁紹」「袁術」実は曹操なぞより超絶格上だった話 兄弟喧嘩で自滅?


河北の雄「袁紹」(左)。「官渡の戦い」で曹操(右)に敗れ、まもなくして病没する。画像は「『三國志13 with パワーアップキット』プロモーションムービー 第2弾」より (C)コーエーテクモゲームス

【画像】なるほどお嬢になるわけか…こちら「金髪縦ロール美少女化」した袁紹です

漢王朝を牛耳る名門中の名門でした

 横山『三国志』やマンガ『蒼天航路』(原作・原案:李學仁/作画:王欣太)では序盤に登場し、内輪もめをしているように見える「袁紹」と「袁術」。三国志ゲームでも序盤の中ボスといった扱いですが、史実の彼らはそのイメージとはまったく違う、とんでもない大権力者でした。

四世三公の超エリート一族

 袁家は四世代にわたり、漢王朝(後漢)の最高官職である三公(太尉・司徒・司空)を独占してきた名門中の名門です。現代日本でいえば、総理大臣や主要閣僚を四世代連続で歴任してきたようなもの。

 さらに三公には「推挙」という制度があり、自分の判断で官僚を登用できます。推挙された人物は恩義を忘れず、その一族に忠誠を誓うのが慣例でした(故吏システム)。

 これが四代続いた結果、漢王朝の要職の半数が「袁家に推挙された人物」またはその子へと入れ替わっていきます。袁家は漢王朝最大の政治派閥を支配する巨大勢力だったのです。

十常侍を排除する袁家と、何進の悲劇

 この超エリート一族に生まれた袁紹と袁術は、皇帝(霊帝)の権力をバックに政治を操っていた宦官集団「十常侍(じゅうじょうじ)」を邪魔に思い、排除しようとします。そこで利用したのが、妹が皇帝の妃となって栄達した元肉屋の何進(かしん)将軍です。

 袁紹は何進に宦官を排除するよう進言しますが、先手を打った十常侍によって何進は逆に殺害されてしまいます。激怒した袁紹、袁術は宮廷に乗り込み、十常侍を含む宦官勢力を皆殺しにしてしまいました。

 そして最終的にこの混乱を制して実権を握ったのが、十常侍討伐のために地方から呼び寄せられていた諸侯軍団の一人、董卓でした。

董卓討伐の盟主となる袁紹

 横山『三国志』や『蒼天航路』では董卓の暴政が強烈に描かれるため、袁紹の存在感は弱く見えます。しかし史実では、宮廷で董卓と剣を抜いて対峙し、その後「董卓討伐軍」をまとめる盟主となったのは袁紹でした。

 そしてこのとき、袁紹や袁術の配下の下働きとして従軍していたのが、後に大活躍する劉備や曹操たちです。三国志演義では劉備や曹操にスポットライトが当たっているため、袁紹の影が薄められています。

「なんか偉そうだな」と感じられる袁紹の態度は、実際に彼が漢王朝の最上級エリートだったことの反映なのです。

袁紹と袁術の争い 原因は母親の身分

 袁家が真に抱えていた問題は出自と能力のねじれでした。兄の袁紹は側室の子ですが有能、弟の袁術は正妻の子ですが、人望や能力面で兄に大きく劣っていました(いとこ同士とする説も)。

 本来なら正妻の子である袁術が家督を継ぐ立場ですが、実務能力も人気も兄の袁紹が上です。弟の袁術にとっては面白くなく、これが兄弟間の深い亀裂となります。董卓討伐後の混乱は、この兄弟喧嘩がそのまま政治対立として拡大したものでもあったのです。

漢王朝最大派閥の自滅と、曹操の台頭

 兄弟の争いに明け暮れる袁家の隙を突き、力を伸ばしたのが曹操です。袁術は皇帝を名乗るもわずか2年で病死、袁紹は官渡の戦いで曹操に敗北、病死します。

 四世代続いた最大派閥は、兄弟の対立と新たな英雄曹操の登場によりあっけなく崩壊しました。もし袁紹と袁術が協力していたなら、国中に張り巡らされた官僚ネットワークが機能して漢王朝はもっと長く続き、その後の歴史はまったく違う姿になっていたかもしれません。

 三国志序盤は、ミクロでは「桃園の誓い」から始まる英雄譚の序章であり、マクロでは巨大名門である袁家の崩壊と、新しい時代を開く曹操の台頭が描かれています。いわば「漢王朝の世代交代」の物語でもあるのです。

配信元: マグミクス

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