高鼻に潜む先住民の古層
伎楽の伝来時期が612年と、日本書紀の成立時期(720年)よりもずっと早いことから、「治道」のような鼻の高い面が大陸からやってきた影響で猿田彦の鼻も高くなった、と考えるのが自然だろう。ただ、それ以前から日本に、支配者に大きな鼻のイメージがあった可能性も捨てきれない。
私が好きなのは高見乾司氏の説だ。九州の民俗面を300点以上集めて展示している「森の空想ミュージアム」の館長であり、民俗面についてさまざまな論考を書いている在野の研究者で、猿田彦を「先住の民」の象徴だと推察している。
高見氏の著書『神々の造形・民俗仮面の系譜』(2012/鉱脈社)によれば、猿田彦の面は、大陸からやってきた伎楽面や舞楽面の影響を受けつつも、九州各地に点在する大きな鼻と目を持った民俗面「火の王・水の王」「王鼻面」「先払い面」などと混交しながら、多様な相貌をみせるのだという。
そして1999年に九州各地の研究者たちと開いた「猿田彦大神フォーラム」の内容をまとめ、猿田彦について次のように記している。
「猿田彦は親しみ深いけれども謎も多く、怖そうだけれども異性の魅力には弱く、争いを好まず、天と地あるいは国と国との境界を守りながらも新しい文化・人脈を自身の勢力圏内へと案内し、土着の信仰と渡来の文化を混交させ、日本列島の文化の古層を残しながら現代に至るまでさまざまに変容を繰り返しながら分布する愛すべき神様――すなわち『国つ神=先住民族の代表』である」
また、北部九州・南九州には「祭りを先導する猿田彦」の神事が多く分布し、それら猿田彦の面をヤマト朝廷に侵略された隼人(はやと。かつて九州南部、現在の鹿児島県あたりに住んでいた人々)とする説も提示されていて興味深い(大分県中津市豊田町・古要神社の神事「古要舞」の両脇に置かれた赤と青の鼻高面や、鹿児島県曽於市・岩川八幡神社の「弥五郎どん祭り」など)。
九州には猿田彦を含む「王面」系と呼ばれる土着的な民俗面のグループがあり、高見氏がそれらを「いずれも『土地神』の系譜を引くもの」、日本という国家が成立する前の縄文の神々の残像、と表しているのも見逃せない。
とにかく治道にせよ猿田彦にせよ、どちらも高い鼻を持つ者が“道を先導”しているのが重要だ。昔は今のように道は整備されておらず、通るときは数日でのびてしまう植物を刈らなければいけないし、葉や枝についた朝露を払わなければ服がぐっしょり濡れてしまう。位の高い人が道をゆく際、先頭の者が障害物を避けたり「露払い」をしたりする役が必要だった。つまり、先導役とはどちらかというと身分の低い者の務めだった。
天つ国の神(ヤマト朝廷の先祖)を先導した国つ神の猿田彦(先住の民、各地の豪族)、伎楽で先導役を担った治道の鼻が結びつき、同じく山に追いやられた先住民、仏教に調伏された天狗(山の神)へと引き継がれていった――というのは筋が通る。天狗の高い鼻には、大きな勢力に住む土地を追われた被支配者の悲哀や怒り、国家成立前の神々の精神が記憶されているかもしれないのだ。
への字の口=抵抗する精霊の姿
最後に、天狗の口が「むっ」とへの字になっているのについて、興味深い論考がある。先ほど紹介した能の演目「鞍馬天狗」では、我々の知っている天狗の鼻高面ではなく、「癋見(べしみ)」と呼ばれる、大きな鼻で口を真一文字に結んだ能面が使われる。
この癋見の口には、日本古来からいる土地の精霊の姿がある――と、民俗学者の折口信夫は論考「日本文学における一つの象徴」の中で書いている。
能面や狂言面は、中国からやってきた「伎楽面」「舞楽面」といった、高度な技術によって作られた外来の優秀な面の影響を受けている。しかし一方で、「癋見」の「癋」とは「物言はぬ」の意である。発音の「へしむ」とは、絶対に口を開かず、沈黙を守ることを意味するところから、「癋見」のかたく結んだ口の造形は、あとからやってきた大きな力を持つ神の力の言葉に対して、圧服されまいと沈黙を守り続ける精霊(もどき)の姿がルーツにある、と書き綴っているのだ。
鬼舞辻無惨、悪鬼という、圧倒的な理不尽、大きな暴力に、多くの継子(つぐこ)を殺された無念と、それでも屈しまいと静かに怒る鱗滝左近次。現役時代は鬼殺隊の柱として戦いながらも宿願は果たせず、老いた後は人里離れた山の中で育手となるのも、天狗や猿田彦のような人と異界の間に身を置く「境界の神」「被支配者側の実力者」の姿と重なる。
優しい顔立ちを、高い鼻と鋭い目、口をムッとへしませた天狗の面で、固定する。そこには圧倒的な力に対する、外へと追いやられた精霊や先住民の反骨心や悲哀が詰まっていると思うと、鱗瀧の「鬼を滅せよ」という覚悟がより伝わってくる。
※後編を12月30日18時に公開予定です。

