江戸時代、武家に生まれた女性たち。
多くの社会的制約を課せられながらも、彼女たちは己を貫き、強く生きようとした。
最新作『武家女人記』を通して、砂原さんが描こうとした女性の姿とは――。
作品に込めた思いと創作論をたっぷり伺いました。
構成/あわいゆき 撮影/露木聡子
令和のいま、武家の女性を描く
――『武家女人記』は、主人公がすべて武家の女性という作品集です。砂原さんにとって初めての試みとなりますが、なぜ「武家の女性」をテーマにしようと思われたのでしょうか。
砂原 ヒロインの描き方が印象的だったらしく、『高瀬庄左衛門御留書』を刊行して以来、編集のかたから女性を主人公にした作品を望む声を多くいただくようになりました。そこで「小説すばる」で連載するに当たり、いままで経験のない「全編女性主人公の連作」という形式をやってみようと決意したわけです。
――農家や商家ではなく、武家の女性を選ばれたことには、どういった理由があるのですか。
砂原 とくに武家の女性は生きていくうえで多くの制約を課せられています。しかし、それを逆手に取ることで、制約に抗(あらが)ったり、乗り越えようとしたりするドラマが生まれるのではないかと思ったんですね。
――武家が活躍した時代は長きにわたりますが、そのなかでも江戸時代に絞られたのはなぜでしょうか。
砂原 たしかに、戦国時代を含めることも考えました。ただ、「全編通して江戸時代」という設定を貫いたほうが、主人公となる女性それぞれの個性を、より際立たせられるのではないかと。ですので、身分や年齢に幅を持たせ、さまざまな境遇の女性を主人公に据えています。
――収録されている七編すべてに、男性を中心とした「政(まつりごと)」によって女性の運命が決められてしまう、当時の歪(いびつ)な社会構造が通底しているようにも感じました。
砂原 従来の武家ものでは、そうした社会構造に縛られ、家や夫、あるいは子どものために耐え忍ぶ女性像が多かったように感じます。でも、いまの時代にそれを書いても、読者はなかなか共感しづらいんじゃないでしょうか。今作では、伝統的な枠組みは尊重しながらも、いままでの武家もので描かれてきた女性像とは少し違うアプローチをしたいと思いました。当時の社会でそれが実現するかどうかは別として、自分自身の願いや意志を強く持った、主体性のある女性を描きたかったんです。
――巻頭に収録されている「ぬばたま」の主人公・織江は、禄高百石の馬廻りの家の末娘。彼女は嫁入りを前に、これまで足を運んだことがなかった夜のお祭りに行ってみたいという願いを押し通しますね。
砂原 たとえば結婚のような大きなライフイベントによって生活が変わってしまう前に、これまで経験してこなかったことをやっておきたいという気持ちは、多くの読者が感じた覚えがあるはずですよね。織江はお祭りで起きた事件によって周囲から非難されながらも、結果的に自分の思いを貫いて生きていくようになります。そういった個人の衝動や気持ちを手放さずに行動する主人公を最初に登場させることで、この作品集の方向性を示しておきたいという思いがありました。
――「あねおとうと」は、筆頭家老の家に嫁いだ主人公の美佐(みさ)が、藩内の政争で意見を対立させている息子と実弟とのあいだで板挟みになりながらも、家の存続のために奔走する話です。彼女は動機こそ「家を守る」ですが、こちらも現状を耐え忍ぶのではなく、自ら行動に移していく人物として印象に残りました。
砂原 表面に出ていないだけで、女性も政にかかわっている部分はある。「あねおとうと」では、その視点を盛り込みたかったんです。そのうえで、美佐にとって、「家」とは夫や子どもをはじめとする身近なひとたちそのものであり、だからこそ守りたいのだ、という動機付けをしています。この点は、武家の女性の行動原理として、さりげなく新しい視点を提示できたのではないかと思っています。
――新しい視点ということですが、デビューから現在に至るまで、砂原さんのなかで女性を描く際の意識に変化はあったのでしょうか。
砂原 デビュー当初から自我をしっかり持った女性を描いてきたつもりなので、そういう意味では大きな変化はありません。一貫して気をつけているのは、男性にとって都合のいい女性を書かないということですね。社会的な制約が大きいなかでも、主体性を持った人間であってほしい。そう願って描いています。
――個人の主体性と、それを許さない社会の制約が衝突してしまったケースが「深雪花」ですね。番頭の家に生まれた主人公の穂波は、『北越雪譜』を読んで、雪の結晶に心を惹かれる。験微鏡を使ってそれを自分の目で見てみたいと願うも、女性の身では藩校にすら通えないという現実が立ちはだかります。
砂原 穂波は時代小説では珍しい、いまでいう「理系女子」のような設定で、私も好きなキャラクターです。個人的な心情としては江戸に遊学させてあげたいのですが、時代を鑑みるとそれはできない。だから私自身、彼女と同じようなもどかしさを抱えながら書いていました。時代小説の枠組みを取り払ってしまうとなんでもありになってしまいますから、悩んだ結果、あのような結末に着地したという感じですね。
「白」が七割、「黒」が三割
――執筆をされるうえで、プロットは立てているのですか。
砂原 実はそれほど立てないタイプで、『武家女人記』だと一作あたり二行ほどの大まかな設定を決めるだけでした。長編の場合は、登場人物の設定は割合しっかり固め、ストーリーは出だしと結末だけ決めて、途中を探っていくかたちで書き進めることが多いですね。いずれにせよ、細部まで固めて書くタイプではありません。
――「縄綯(なわな)い」の展開に衝撃を受けたんです。足軽の家に嫁いだ主人公のたえが夫を事故で亡くし、生きていくために縄綯いの仕事をはじめるというストーリーですが、この作品も先々の展開を細かく決めずに書かれたのでしょうか。
砂原 そうです。「縄綯い」は、「主人公は足軽の女房。夫を亡くし、生活のために縄を綯う」という設定だけ決めて書き始めました。以前刊行した市井ものの短編集『夜露がたり』もそうですが、短編の場合はシチュエーションのみ設定し、書いていくうち、それぞれの結末にたどり着くケースがほとんどですね。
――『夜露がたり』は、人間が抱える暗部を抉り出すような短編集でした。今作でもそういった方向性の作品がいくつか収録されていますね。
砂原 今回は明るい物語と暗めの物語の配分に心をくだきました。「白」と「黒」でたとえるなら、白が七割、黒が三割といったところでしょうか。明るめの話を中心にしつつ、隠し味としてダークな色合いのある話を加える構成にしています。
――「小説すばる」に掲載された順番と収録順が異なりますが、その意図についてもお伺いできますか。
砂原 収録順については、巻頭に「ぬばたま」を置き、それに続くかたちで「背中合わせ」を持ってくることはあらかじめ決めていました。
――「背中合わせ」は、勘定方の下役頭を務めている夫の言動を訝しんだ主人公・茅乃が、その隠しごとを探っていく一編ですね。なぜこれを二編目にしようと思われたのでしょう。
砂原 「ぬばたま」は主人公が十代の娘。内面の葛藤が中心になっていて、いわば文芸的な味わいの作品です。一方、「背中合わせ」の主人公は妻であり、母。そして、時代小説の醍醐味であるチャンバラの要素も取り入れました。この二編を並べることで、作品集としての間口を広げられると考えたんです。三編目以降は、一冊の本としての読み味を考えながら順番を決めていきました。
――三編目は「嵐」。中老の妻である雪絵が、小者として新たに雇った若い男に惹かれていく話です。「ぬばたま」や「背中合わせ」とはまったく異なる読み心地でした。
砂原 これがさっき言ったダークな色合いの作品ですね(笑)。「背中合わせ」がエンターテインメントとして成立しているので、その後に少し異なるテイストの作品を置くのがよいかなと考えました。四編目の「緑雲の陰」もまた違った趣がありますので、いろいろな味わいを楽しんでいただけるのではないかと思います。
――「緑雲の陰」の主人公・倫は大名家の正室として江戸屋敷で生活するなか、世継ぎを巡る問題に巻き込まれます。歴史小説ならともかく、ここまで身分の高い女性が主人公の時代小説は珍しい気がします。
砂原 天璋院篤姫のような将軍の正室を扱った作品はありますが、架空の物語で大名の家族、とくに正室という設定は少ないかもしれませんね。それは身分の高い人間ほど、ある意味、最も大きな枷をはめられているからではないでしょうか。主人公自身を動かしづらいので、事件を起こしにくいんですよね。どんな小説でも、主人公が行動しなければ物語を進めるのは難しいですから。
――執筆するのも大変だったのでは。
砂原 小説として書く難しさという意味では、収録作のなかで最も苦労したかもしれません。好き勝手に外を出歩かせることもできないし、放っておくと何も起こらない。そんな彼女の人生に、藩の世継ぎ問題という波風を立たせることで、ドラマが生まれるような筋立てにしています。
――倫(みち)のモデルとなった人物はいるのでしょうか。
砂原 特定の人物の情報を取り入れることはしていません。他の武家ものも同様ですが、具体的な史実から着想を得ることはほとんどなくて、むしろ「こういう人物がいたのではないか」と想像しながら作っていく場合が多いです。だから逆に、当時の空気を知るための史料にはできる限りくわしく当たるようにしていますね。
ただ、調べることに気を取られすぎないようにもしています。どちらかといえば、文章やストーリーの推敲(すいこう)により多くの時間を割くほうです。考証は非常に大切ですが、小説である以上は、読者に楽しんでもらったり感動してもらったりすることが、いちばん重要ですから。

