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え、これってもうそんなに昔なの!? 10年前、20年前、30年前、40年前のF1シーズンを振り返る

え、これってもうそんなに昔なの!? 10年前、20年前、30年前、40年前のF1シーズンを振り返る

10年ひと昔とはよく言ったものだ。2026年を迎え、2016年は早くも10年前となった。2016年など、まるで昨日のことのようだと感じている方も多いのではなかろうか。

 そんな10年前のF1は、どんなシーズンだったろうか? では20年前は? 30年前は? 40年前は?……それぞれ節目を迎えたシーズンを振り返る。もうそんなに歳月が経ったのかと、驚くはずだ。

■10年前:ハミルトンvsロズベルグの死闘。フェルスタッペン衝撃の初優勝

 2016年シーズンは、メルセデス黄金時代の真っ只中。ルイス・ハミルトンとニコ・ロズベルグのコンビで21戦中19勝を記録するなどシーズンを席巻した。そしてふたりはお互いにシーズンの流れを奪い合いながら、激しいドライバーズタイトル争いを展開すると、最終的にロズベルグが5点差で初の王座に輝いた。

 驚きはその後だった。チャンピオンとなったロズベルグが最終戦の数日後に引退を電撃発表したのだ。大きな重圧の下、苛烈な王座争いを戦い抜いたロズベルグは、夢を叶えた2016年シーズンをF1キャリアのラストシーズンとすることを決断した。このニュースはF1界に衝撃を与えた。

 衝撃といえば、もうひとつ。後に4度のF1ワールドチャンピオンに輝くことになるマックス・フェルスタッペンのF1初優勝もこの年だった。

 フェルスタッペンはトロロッソ(現レーシングブルズ)で2年目のシーズンを迎えていたが、第5戦スペインGPでダニール・クビアトと交代する形でレッドブルに昇格。決勝ではメルセデスの勢の同士討ちもあってレースをリードし、フェラーリのベテラン、キミ・ライコネンの追撃を振り切ってトップチェッカーを受けた。レッドブル昇格初戦でいきなりの優勝、そして史上最年少記録を大幅に更新する18歳での優勝は、その後の伝説的な活躍の序章に過ぎなかった。

■20年前:皇帝シューマッハー堂々たる退場

 ルノーのフェルナンド・アロンソとフェラーリのミハエル・シューマッハーが激闘を繰り広げた2006年シーズンからは20年が経った。

 前年に史上最年少王者(当時)となったアロンソは、2006年シーズンも開幕から圧倒的な強さを見せ、第9戦終了時で優勝6回、2位3回を記録していた。しかしこの年は2000年〜2004年まで5連覇したシューマッハーが息を吹き返し、ルノーの強さの秘密であったマスダンパーの禁止も追い風に、第10戦からはシューマッハーが7戦5勝を記録。タイトル争いは一気に分からなくなった。

 そんなシューマッハーはイタリアGPで同年限りでの引退を発表。続く中国GPではアロンソと同点にまで追い付いたが、日本GP、最終戦ブラジルGPと立て続けにトラブルに見舞われ“ラストシーズン”での戴冠はならず。アロンソが連覇を達成した。なお、シューマッハーは2010年に現役復帰することになる。

 また日本のファンにとっては、ハンガリーGPでホンダF1のジェンソン・バトンが優勝し、表彰台に君が代が流れたこと、そして鈴木亜久里率いるスーパーアグリが発足したことも印象深いだろう。“オールジャパン体制”のスーパーアグリは初年度は戦闘力不足に喘いだが、2年目となる2007年シーズンは入賞を記録して日本のファンを沸かせることになる。

 そして2006年は、タイヤ戦争の終了(ブリヂストンのワンメイクに)、V10エンジンからV8エンジンへの変更(一部チーム除く)、そしてノックアウト式予選の導入など、様々な点で変革のあったシーズンでもあった。

30年前:ヒルが悲願の初王座、シューマッハーが新たな挑戦

 1994年、1995年とドライバーズタイトルを2連覇したミハエル・シューマッハーが、ベネトンからフェラーリへと移籍したのが1996年シーズン。ウイリアムズの独壇場となり、過去2年王座を逃してきたデイモン・ヒルと、新人のジャック・ビルヌーブによるチャンピオン争いが展開された。

 ビルヌーブはF1デビュー戦となった開幕戦オーストラリアGPでいきなりポールポジションを獲得し、トラブルに見舞われるまでレースをリードするなど大きなインパクトを残した。しかしシーズンを通してチャンピオンシップをリードしたのはヒルだった。タイトル争いは最終戦日本GPまでもつれたものの、同GPで8勝目を記録したヒルが悲願の初王座に。彼の父グラハムもF1ワールドチャンピオン経験者であり、F1史上初の親子F1王者となった。

 また、シューマッハーはウイリアムズの2世ドライバーふたりの王座争いに加わることはできなかったものの、直近5シーズンでわずか2勝しか挙げられていなかったフェラーリで3勝を記録しランキング3位に。翌年以降はベネトン時代の有力スタッフの力も借りてタイトルにも絡むようになるが、フェラーリでの初王座は2000年まで待たねばならない。

 上記3人以外で唯一勝利を挙げたのが、リジェ・無限ホンダのオリビエ・パニス。チェッカーを受けたのがわずか3台という大荒れのモナコGPを制し、無限ホンダに初勝利をプレゼントした。

40年前:ホンダ初王座。日本F1ブーム前夜

 40年前の1986年シーズンは、ウイリアムズ・ホンダのナイジェル・マンセルとネルソン・ピケ、マクラーレンのアラン・プロスト、ロータスのアイルトン・セナの“四天王”が主役に。ポールポジション8回のセナは最終戦までタイトル争いに残ることができなかったが、3人のドライバーによる三つ巴の最終決戦がオーストラリア・アデレードで行なわれた。

 最終戦は、ポイントリーダーのマンセルがタイヤバーストでリタイア、そしてそれを見たチームメイトのピケが安全策のタイヤ交換のためピットインしたことで、プロストが優勝。大逆転でドライバーズチャンピオンを獲得した。しかしコンストラクターズ選手権はウイリアムズの圧勝。ホンダはエンジンサプライヤーとして、ついにF1世界タイトルを手にすることになった。

 そして翌年からは、中嶋悟が日本人初のF1レギュラードライバーとして参戦開始。フジテレビによるF1全戦中継もスタートし、日本でのF1ブームが始まっていくのであった。

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