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今こそ知りたい! 豊臣秀長ってどんな人? 「兄・秀吉に匹敵する天才」と呼ばれた生涯

今こそ知りたい! 豊臣秀長ってどんな人? 「兄・秀吉に匹敵する天才」と呼ばれた生涯

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2026年1月4日、ついに放送がスタートした大河ドラマ『豊臣兄弟!』。このドラマでは稀代の英雄・豊臣秀吉(池松壮亮)の影にピタリと寄り添い、その破竹の進撃を支え続けた実の弟、豊臣秀長(仲野太賀)が主人公だが、これまで多くの作品では「有能な補佐役」として描かれることが多かった彼が、なぜ今、スポットライトを浴びたのか。

「秀吉の弟というだけで、運が良かっただけでは?」などと思っている方にこそ、知ってほしい真実がある。実は、歴史ファンの間では「秀長がいなければ、秀吉の天下統一は10年遅れたか、あるいは不可能だった」とまで囁かれているからだ。

今回は、大河ドラマを10倍楽しむために、豊臣政権の“真の立役者”だった秀長の生涯を紐解いておこう。

豊臣政権のCOO!秀長の凄まじい「実務能力」

現代のビジネスシーンに例えるなら、兄・秀吉はビジョンを掲げ組織を牽引する圧倒的なCEO(最高経営責任者)。対する弟・秀長は、そのビジョンを具体的な戦略に落とし込み、現場を完璧に回すCOO(最高執行責任者)だった。

「秀長の凄さは、軍事・政治の両面における『隙のなさ』にあり、四国や九州征伐といった大規模な遠征においては何万という大軍の食糧や武器を調達する兵站(へいたん)責任者を務めました。秀吉が派手なパフォーマンスで敵を圧倒する裏で、秀長は計算し尽くされた準備で勝利を確実なものにしていたのです」(歴史評論家)

また、大和郡山(現在の奈良県)を治めた際には、複雑な寺社勢力との交渉をまとめ上げ、見事な領国経営を行った。そうした意味では彼こそが、「豊臣」という巨大企業の“現場監督”だったのである。

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秀長存命なら豊臣家の没落はなかった

秀吉が天下人へと昇り詰めていくにつれ、その権力は絶対的なものとなり、周囲はイエスマンばかりになっていったが、その中で唯一、兄に対して「それはなりませぬ」と直言できたのが秀長だったと言われている。

「しかも秀長は、家臣団だけでなく、徳川家康や毛利輝元といった有力大名、さらには茶聖・千利休からも深く信頼されていました。彼は利害関係がぶつかり合う諸大名の間に入り、落とし所を見つける“調整の天才”だったのです」(同)

そのためか、「もし、秀長が長生きしていたら、後に豊臣政権を揺るがすさまざまな悲劇は起きなかったのではないか」とも言われている。そう言わしめるほど、彼の存在は政権の安定装置(ブレーキ)として不可欠なものだったのだ。

要は太陽のように派手で陽気な秀吉の背後には、常に冷静で温厚、そして誰よりも切れる頭脳を持った、月の化身のような弟がいたわけだが、その秀長は豊臣政権が絶頂期を迎えていた天正19年(1591年)に病に倒れる。そして彼の死を境に、豊臣家は急速にバランスを崩していくのだ。

「秀長の死からわずか数カ月後に、秀吉は千利休に切腹を命じ、翌年には朝鮮出兵を開始。さらに後継者争いから甥の秀次を処刑するなど、暴走が止まらなくなくなっていった。多くの歴史家は『秀長さえ生きていれば、豊臣の天下はもっと長く続いたはず』と口を揃えるが、この“歴史のIF”こそが、秀長の有能さと偉大さを物語る何よりの証明と言えるのです」(歴史ライター)

配信元: 週刊実話WEB

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