
中国の吉林大学第一病院(吉林大学、JLU)で行われた研究によって、体外受精の妊娠率が「男性がいつ射精したか」によって変わる可能性が示されました。
研究チームは通常の体外受精(c-IVF)を受けるカップル約500組を対象に、採卵の前48時間以内に一度射精してから精子のサンプルを出したグループと、従来どおり禁欲してから射精したグループを比較しました。
その結果、直前に射精したグループでは臨床妊娠率がおよそ54%に対して、禁欲したグループの臨床妊娠率は約45%に留まり、9%の開きがみられました。
つまり「精子を長く溜めるほど有利」という従来のイメージとは逆に、「採卵の直前48時間以内に一度射精しておく」というシンプルな行動が、体外受精の成績を押し上げるかもしれないということになります。
では、なぜ禁欲期間を短くしただけで、妊娠率や妊娠の続きやすさにこれほどの差が生まれたのでしょうか?
研究内容の詳細は2025年12月2日に世界的医学誌The LancetグループがSSRNと共同で運営するプレプリント公開枠『Preprints with The Lancet』で公開されました。
目次
- 精子の数か質か、それが問題だ
- 精子の「量で負けて、質で勝つ」逆転劇
精子の数か質か、それが問題だ

「精子は、たっぷり溜めてから出すほうが濃くて強い」。
そんなふうに考えている人は少なくないと思います。
実際に病院で精液検査を受けるときにも、「数日間は射精を我慢してください」と言われます。
これは、精子をたくさん溜めるほど濃度が高くなり、精子の総数が増えるだろうというシンプルな考え方に基づいています。
WHO(世界保健機関)も、精液検査をするときには射精を2〜7日間控えることを目安として示しています。
これが一種の「常識」として定着しているわけです。
しかし最近、この常識を揺るがすような研究結果が積み重なっています。
それは、「精子は溜めれば溜めるほど良いわけではないかもしれない」という報告です。
なぜそういう話が出てきたのかというと、精子が男性の体内で待機しているあいだに、少しずつダメージを受けることが知られてきたからです。
精子は、精巣(精子が作られる場所)や精巣上体(精子を貯める場所)で待機していますが、この待機中に「活性酸素」という非常に反応性の強い酸素分子にさらされる時間が長くなります。
これは鉄が酸素に触れてサビるのに似た現象で、精子の中のDNAをじわじわと傷つけると考えられています。
つまり、「溜めておけば強くなる」と思っていた精子が、逆に待機しすぎることで少しずつ弱ってしまう可能性があるのです。
さらに近年、体外受精の世界では顕微授精(ICSI)という特別な方法を使った場合に、「禁欲期間を短くしたほうが良い結果になるかもしれない」という報告がちらほらと登場しています。
顕微授精というのは、一つの卵子に一本の精子を針で直接注入して受精させる方法です。
精子の数がとても少なくても比較的実施しやすいため、「量」よりも「質」のほうが重要になるわけです。
ところが、今回テーマになっている「通常の体外受精(c-IVF)」では事情が異なります。
体外受精(c-IVF)とは、顕微授精とは違い、多数の精子と卵子をお皿の中に一緒に入れて、自然に近い形で受精させる方法です。
この方法では、精子の数があまりに少ないと受精がうまくいかず、結局顕微授精(ICSI)に切り替える必要が生じることがあります。
「短い禁欲だと精子の数が減りすぎてしまい、かえって不妊治療の成績が下がるのでは?」という不安があったのです。
このままでは「数が一番大事では?」➔「数より質では?」➔「質もいいけど数がやっぱり大事では?」と堂々巡り状態になってしまいます。
そこで今回、中国の研究チームが著者らによれば通常の体外受精では初めて、本格的にこの問題に挑みました。
精子の「量で負けて、質で勝つ」逆転劇

通常の体外受精(c-IVF)では数と質のどちらが重要なのか?
答えを得るため研究者たちは体外受精を予定しているカップル500組を2つのグループにわけました。
そして1つ目は両方のグループとも基本は3〜4日に1度射精してもらいながら、採卵する日の48時間以内に最後の射精をして、常に新鮮な少数精鋭の精子を用意するグループ。
2つ目はある程度長く禁欲(約2日〜7日間)してもらい、採精の直前までは射精を控えたグループです。
結果、1つ目の直前にも射精していたグループの臨床妊娠率は約54.4%であったのに対し、一方、「通常禁欲グループ」は約44.9%にとどまっていたことがわかりました。
差は約9.5ポイントで、ちょっとした差のように見えるかもしれませんが、体外受精の世界では無視できない数字です。
さらに、もう一つ重要な指標として「継続妊娠率」があります。
これは単に妊娠したかどうかだけでなく、妊娠が12週を過ぎても続いているかどうかを調べるものです。
こちらも直前にも射精していたグループでは46.0%、通常禁欲グループでは35.7%と、約10ポイントの明らかな差が見られました。
普通に考えれば、「48時間前という直前のタイミングで射精していると、精子の数が減ってしまうので不利になるのでは?」と思いがちです。
実際、この研究でも、精液量や精子の濃さ、総精子数といった「量」の面では、トリガー日射精グループの方が不利でした。
つまり、精子の数そのものはやっぱり減ってしまっていたのです。
しかしその後の妊娠率や継続妊娠率では、短い禁欲期間のグループが勝っているのです。
この結果は「量で負けて、勝負で勝つ」という逆転劇が起きていることを示しています。
この奇妙な“ねじれ現象”について研究者たちは、「短い禁欲期間で新鮮なうちに出された精子は、DNAが傷つきにくく、受精卵がその後も順調に育ちやすいのかもしれない」との推測を行っています。
言い換えれば、直前にも射精するほど頻繁に出していることで、精子の質が常に保たれていた可能性があるのです。
イメージで例えるならば古い電池をたくさん集めるより、新しい電池を少し使ったほうが機械がよく動く、という感覚に近いかもしれません。

今回の研究により、「通常の体外受精において、最後の射精から採卵当日に精子を出すまでの期間を2〜7日から48時間以内に短くすると、臨床妊娠や継続妊娠の割合が高い“傾向”が示された」と言えます。
著者らは、この試験を「体外受精における射精禁欲を短くする効果を検証した初のランダム化比較試験」と位置づけており、短い禁欲(直前に出して新鮮な精子を貯めておく)は顕微授精(ICSI)だけでなく体外受精においても、有望な戦略になりうると述べています。
精子の数を増やす薬を開発したり、高価な装置を導入したりする前に、「禁欲を短くする(頻繁に射精する)」という行動レベルの工夫だけで、妊娠率が改善する可能性があるなら、ほぼノーコストで妊娠の割合が良くなる可能性があります。
(※この研究結果が全てだと思い込み患者が自己判断するのは危険です。実際の現場では医師との相談をしながら決めて下さい。)
もし将来、別の病院や国、さまざまな条件のカップルで同様の結果が再現されれば、体外受精の説明パンフレットに書かれる「禁欲2〜7日」という一文が、「採卵前48時間以内に最後の射精をしてください」といったより具体的な指示に書き換わるかもしれません。
元論文
Trigger-Day Ejaculation Improves Conventional in vitro fertilization Outcomes: A Prospective Randomized Controlled Trial
https://dx.doi.org/10.2139/ssrn.5821645
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部

