絵が好きな子どもが、デザイナーへ。遠回りが“今”につながった
ホッシーナッキーさんは東京都生まれ。幼い頃から絵を描くことが好きで、チラシの裏に夢中で絵を描くような子どもだったといいます。
高校卒業後、進学先を美術大学にするか、外国語大学にするかで悩んだ末に選んだのは外国語大学。「絵はこれからもずっと描き続けられる」と感じていたこと、そして将来は海外で活躍したいという夢も後押しになりました。大学4年生の選択授業で、illustratorやPhotoshopなどを学び、そこで「グラフィックデザイナー」という仕事を知ります。
卒業後はデザイン会社に就職。映画のポスターやパンフレットなどの制作に携わりながら、プライベートではコンテストに応募したりグループ展に出展したりと、自分の表現も積み重ねてきました。
ベトナムでの出会い、そして尼崎へ。“関西弁”が人生を動かした
キャリアを重ねる中で、友人とのベトナム旅行で出会ったのが現在のご主人。ツアーで一緒になり、関西弁で「どっから来たん?」と声をかけてきたのが始まりだったそうです。
最初は「距離が近いな」と驚いたものの、帰国後に東京で再会。そこからご主人の熱意あるアプローチで交際へ。関東と関西の遠距離恋愛を3年間経て、27歳で結婚。ご主人の生活圏である尼崎市に移住しました。
“ここ、好きかも”を確信したのは、西武庫公園のフリーマーケット尼崎の第一印象は、「のどかで、ところどころに畑があるようなのびのびした環境」。地元の雰囲気にどこか似ていて、すっとなじむ感覚があったといいます。
そして尼崎をもっと好きになったきっかけが、西武庫公園で年2回開催されている「ハーベストフリーマーケット」。高校生のころからフリーマーケットが好きだったホッシーナッキーさんは、出店者もお客さんも個性的でフレンドリーな人が多いこのフリーマーケットに心を掴まれたそう。
初めてのオリジナルグッズは、ゴリラのキャラクター
最初は不用品を売るだけでしたが、途中から自作キャラクターのグッズを出品。するとお客さんがおもしろがって買ってくれたり、ワインバーのマスターから「店の壁に絵を描いてほしい」と頼まれるなど、少しずつ輪が広がっていきました。
「一番初めに来てくれた5歳の女の子が、いまはもう社会人で。ほかの人も、結婚した、子どもが生まれた、孫ができた……って、年に2回しか会えないのに、変化を聞かせてくれる。ファミリーみたいな存在になっています」とホッシーナッキーさん。尼崎で過ごした時間は、気づけば 17年。暮らしの中に、確かな居場所ができていました。

