クマの「性格を変える進化」はアリなのか?

今回の研究により、「人間と長く共存してきた小さなクマの集団で、人間由来の選択が行動に関わる遺伝子を押し動かした可能性」が示されました。
著者たちは、「人間によって引き起こされた選択(人間の活動が作り出した選び分けの力)」という言葉を使い、攻撃性の低下に関係する可能性がある遺伝子群に見られる変化を強調しています。
そのことも一因となって、アペニンヒグマは人との衝突を減らし、厳しい状況の中でも細々と生き延びてこられたのかもしれません。
重要なのは、「人間の活動は野生動物を傷つけるだけでなく、その“性格”や進化の方向そのものも変えてしまうことがある」という点です。
人と野生動物のトラブルを減らすために、「おとなしい個体の方が生き残りやすい」状況が続けば、今回のようにDNAのパターンまで変わってしまう可能性があります。
これは、保全の現場にも悩ましい問いを投げかけます。
たとえば、「遺伝的多様性を増やすために、他の地域からクマを入れて混ぜるべきかどうか」という問題です。
今回の論文では、いまのアペニンヒグマが持つ「温厚さを支えるかもしれない遺伝的特徴」が、現時点での安易な再導入によって薄まってしまうおそれがあると指摘しています。
それでも、この研究には大きな価値があります。
著者たちによれば、こうした変化を「遺伝的な裏づけ」と結びつけた研究は、まだ多くありません。
アペニンヒグマは、「弱くて小さいのに、人との共存に特化した超ニッチなクマ」として、今後の行動遺伝学や保全生物学の重要なモデルになっていくかもしれません。
コラム:優しさのセレクションはいつ起きたのか?
「アペニンヒグマは人間との共存の中で“優しく”なったかもしれない」――そう聞くと、「じゃあ、いつから優しくなり始めたの?」という疑問がわきます。残念ながら、今回の研究だけで「○年から性格が変わった」とカレンダーに明確に書き込むことはできません。ゲノムに刻まれた“選択の跡”は、長い時間の積み重ねの結果であって、年号ラベルは付いていないからです。ただ、歴史と人間の行動を合わせて考えると、「どのあたりで選択圧が一番強かったか」を想像することはできます。アペニンヒグマが他のヨーロッパのヒグマと分かれたのは、およそ2000〜3000年前とされます。そのころから山里にはクマがいて、古代ローマの時代の文献には「家畜を襲う」「畑を荒らす」厄介者としてのクマの姿がすでに登場します。つまり、“人にとって困るクマ”が駆除される歴史自体はとても古いのです。とはいえ、ローマ時代の駆除は道具も移動手段も限られていて、「本気でクマを一掃する」ほど効率は高くありませんでした。選択の力が一番強まったのは、むしろ19〜20世紀、銃や毒、道路や車が普及してからだと考える方が自然です。家畜を襲った個体、人里に深く入り込んだ個体は、ほぼ確実に射殺や毒殺の対象となり、「問題を起こすタイプのクマ」がピンポイントで消されやすい時代になりました。
クマの一世代はおよそ10年前後と見積もられます。20世紀だけでも10〜20世代ぶんはありますから、その間ずっと「人を怖がらず、攻撃的な行動をとる個体ほど早く死ぬ」状況が続けば、遺伝子の頻度が少しずつ動いていくことは十分ありえます。ローマ時代からのゆるやかな圧力の上に、19〜20世紀の強烈な“追い打ち”がかかり、その合計が今のゲノムに見える「温厚化の痕跡」になっている、というイメージです。
なので、「優しさのセレクションはいつ起きたのか?」に対する正直な答えは、「古代からじわじわ続いてきて、とくにここ100〜200年で一気に強まった可能性が高い」です。種の歴史全体で見れば、ローマ時代はまだ“序章”であり、本格的なふるい分けは近代の人間社会が引いた、と考えるとストーリーとしてもしっくりくるでしょう。
では、日本はどうでしょうか。北海道のヒグマや本州のツキノワグマも、昔から人とのトラブルが絶えませんでした。とくに北海道では開拓が進んだ19世紀後半以降、田畑や家畜が襲われる事件が増え、「人食いグマ」のような極端に危険な個体が新聞をにぎわせることもありました。その一方で、20世紀には行政が報奨金をつけてヒグマの大量駆除を行った時期もあり、短い期間に何百頭、何千頭というクマが捕殺されています。もし「人里に近づいて問題を起こすクマほど真っ先に撃たれる」という状況が何十年も続いていれば、アペニンと同じように、「極端に大胆で危険なタイプ」を削り取る選択圧が働いていた可能性は十分にあります。ただ日本で同様のDNA研究はまだ行われていないので確実なことはまだ言えないでしょう。
また本研究結果はクマの被害に悩む日本にも関連することですが、単純な処方箋ではありません。
もし日本という限られた島国に生息するクマたちも、アペニンヒグマのように環境の圧力で「進化」していくとしたら、私たちはそれをどう受け止めるべきなのでしょうか?
「いいこと」「わるいこと」「仕方がないこと」など多くの意見があることでしょう。
しかし種の保存や多様性の維持は人間の干渉を受けない状態を維持することにも価値が見出されるものです。
もしかしたら未来の世界では、「野生動物の性格を変えないようにするには、人間がどんなふるまいを選べばよいのか」という問いが、保全の大きなテーマになっているかもしれません。
アペニンヒグマの物語は、私たちがすでに自然の“外側”ではなく、“進化の一部”になってしまっていることを、静かに教えてくれているのだと思います。
参考文献
How human interaction drove evolution to make bears less aggressive
https://www.eurekalert.org/news-releases/1109172
元論文
Coexisting With Humans: Genomic and Behavioral Consequences in a Small and Isolated Bear Population
https://doi.org/10.1093/molbev/msaf292
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部

