
スタジオジブリが設立後初めて手掛けた作品として知られる、『天空の城ラピュタ』 (C)1986 Hayao Miyazaki/Studio Ghibli
【画像】「えっ、出しすぎ?」「バレバレでは」これが別作品にこっそり描かれた「隠れジブリ」です(4枚)
徳間書店「じゃあこの会社使って良いよ」 蓋を開けてみると…
本日2026年1月5日(月)、宮崎駿監督が85歳の誕生日を迎え、国内外でお祝いのコメントがSNSであいつぎました。宮崎監督が活動の拠点としている「スタジオジブリ」の名前は、今や地球規模といっても過言ではないでしょう。とはいえ、そんなジブリも設立に至るまでは、さまざまな苦労話があったのです。
スタジオジブリが設立されたのは、1985年6月15日のことでした。今は「ジブリ作品」に数えられることが多い『風の谷のナウシカ』ですが、『ナウシカ』の公開は1984年3月11日であり、ジブリ設立以前の作品です。当時の制作会社は「トップクラフト」でした。
『ナウシカ』の配給収入は、7億4200万円と、大ヒットを記録しました。このヒットを受けて製作委員会の「徳間書店」は、長編アニメーション映画企画の第二弾に着手します。後の『天空の城ラピュタ』となる企画でした。
とはいえ、『ナウシカ』を作った「トップクラフト」はあくまでも協力してくれた制作会社という立場でした。せっかくなら、毎回協力会社を見つけるより、自分たちの制作拠点となるスタジオを設立した方が良い……「宮崎駿さん」、「高畑勲さん」、「鈴木敏夫さん」ら、のちのジブリの中心メンバーはそう考えたのでした。
ジブリのプロデューサーである鈴木敏夫さんは、『ナウシカ』公開当時は、まだ徳間書店に勤める編集者でありました。いざ「自分たちの制作会社を発足しよう」という段階になって、その手続きなどに関しては、鈴木さんが請負うことになりました。
この動き方、さすがは敏腕プロデューサー……と思いきや、どうにも鈴木さんは当時、すっかり頭を抱えてしまっていたのです。そして、藁(わら)をもつかむ思いで1冊の本に手を伸ばします。そのタイトルは『株式会社の作り方』というものでした。
そうです。今でこそジブリを大成功に導いた敏腕プロデューサーとして知られている鈴木さんも、当時はまだひとりのサラリーマンです。会社設立の方法や経営に関しては素人も同然です。徳間書店の上層部に掛け合ってみても、「お前が作るんだろう。勝手に作れ」と、冷たく突き放されるありさまです。こうした憂き目に遭いながらも、鈴木さんは『株式会社の作り方』をせっせと読み込み、どうにか事業計画を練っていったのです。
そこへ、天の助けがやってきます。徳間書店の社長と総務が、そんな鈴木さんを見かねてか、徳間書店が所有している「休眠会社」、つまり事業活動を停止中の会社を「そのまま利用しても良い」という許可をしてくれたのです。これは、もともと『天平の甍(てんぴょうのいらか)』という映画のために作った「甍企画」という会社でした。
とりあえずはひと安心です。早速、鈴木さんが利用するにあたり、その会社情報をいろいろと調べてみると、ここで驚くべき事実が判明します。なんとその会社には3600万円の借金が残っていたのです。これから新たなスタジオを設立しようというのに、自分たちが作ったわけでもない借金を肩代わりしなくてはなりません。鈴木さんは逡巡(しゅんじゅん)しつつも、背に腹はかえられぬとして、借金を返すことを当面の目標に設定し、スタジオジブリを設立したのでした。
世界のジブリも、『株式会社の作り方』なる本から始まり、その設立の裏にはサラリーマンの苦悩があったと思うと……『ラピュタ』や『千と千尋の神隠し』を作った会社とは思えぬ、リアルな人間ドラマを感じます。
