
古代ローマといえば、整然とした軍団、石造りの砦、浴場やトイレまで完備した高度な文明社会を思い浮かべる人も多いでしょう。
しかし、ローマ帝国の最前線で兵士たちが送っていた日常は、そのイメージとは大きく異なる「地獄絵図」だった可能性が浮かび上がってきました。
イングランド北部、ハドリアヌスの長城近くに築かれたローマ軍の砦「ヴィンドランダ」を調査した英オックスフォード大学(University of Oxford)らの最新研究により、兵士たちの体内で何が起きていたのかが、驚くほど生々しく明らかになったのです。
研究の詳細は2025年12月2日付で学術誌『Parasitology』に掲載されています。
目次
- ローマ兵の体内でうごめいていた「見えない敵」
- 「文明の象徴」の砦で起きていた現実
ローマ兵の体内でうごめいていた「見えない敵」
今回の研究で注目されたのは、武器や建物ではなく、砦の浴場トイレから流れ出る排水路の堆積物です。
そこに残されていたのは、兵士たちが日々排泄していた糞便の痕跡でした。
研究チームは、この堆積物を詳しく分析し、古代の人々に感染していた寄生虫を調べました。
【調査された遺跡の画像がこちら】
その結果、回虫や鞭虫といった大型の腸内寄生虫の卵が高頻度で見つかり、さらに下痢を引き起こす微小な原虫「ジアルジア」まで検出されました。
特にジアルジアは、ローマ時代のブリテンで初めて確認された例です。
これらの寄生虫はすべて、糞便で汚染された水や食べ物、手指を介して感染します。
つまり、砦には浴場やトイレが整備されていたにもかかわらず、実際の衛生状態は極めて悪く、兵士たちは慢性的な腸内感染にさらされていた可能性が高いのです。
回虫は体長30センチ近くに達することもあり、腹痛や下痢、栄養障害を引き起こします。
鞭虫も長期間体内に寄生し、体力をじわじわと奪います。
ジアルジアに感染すれば、激しい下痢と脱水が続き、数週間まともに動けなくなることも珍しくありません。
「文明の象徴」の砦で起きていた現実
ヴィンドランダ砦は、ローマ帝国が誇る最北西の軍事拠点のひとつでした。
兵士たちはハドリアヌスの長城を守り、常に外敵の侵入に備えていました。
しかし、彼らを苦しめていた最大の敵は、必ずしも人間ではなかったのかもしれません。
研究では、西暦3世紀だけでなく、1世紀に築かれた初期の砦の防御壕からも同じ寄生虫が見つかっています。
これは、数十年にわたって不衛生な環境が改善されないまま続いていたことを示しています。
慢性的な寄生虫感染は、兵士の体力を奪い、免疫力を低下させます。
【堆積物から見つかった寄生虫の卵の画像がこちら】
その結果、サルモネラ菌や赤痢菌といった、さらに危険な感染症が広がりやすい環境が生まれていたと考えられます。
実際、文書記録には、結膜炎の流行で複数の兵士が任務不能になった事例も残されています。
汚染された手で目を触るだけで感染する病気が、日常的に広がっていた可能性があるのです。
整然とした軍隊、石造りの浴場、下水設備という「文明的な外観」の裏で、兵士たちは寄生虫に内側から蝕まれていました。
これは、ローマ帝国の軍事力が、決して理想的な環境の上に成り立っていたわけではないことを示しています。
古代ローマの最前線は、想像以上に過酷だった
今回の研究が示したのは、ローマ兵の遺骨そのものから病変が直接見つかったわけではありません。
しかし、砦の排水路という「体の内側の痕跡」から、兵士たちがどれほど過酷な健康環境に置かれていたのかが、はっきりと浮かび上がりました。
ローマ帝国の最前線は、剣と盾がぶつかり合う戦場である以前に、下痢と寄生虫に苦しむ不衛生な生活の場でした。
文明の象徴とされるローマ軍の砦は、実際には、目に見えない病と戦い続ける「静かな地獄」でもあったのです。
参考文献
Horror of Life on Roman Frontier Revealed in Gut-Wrenching Study
https://www.sciencealert.com/horror-of-life-on-roman-frontier-revealed-in-gut-wrenching-study
元論文
Parasite infections at the Roman fort of Vindolanda by Hadrian’s Wall, UK
https://doi.org/10.1017/S0031182025101327
ライター
千野 真吾: 生物学に興味のあるWebライター。普段は読書をするのが趣味で、休みの日には野鳥や動物の写真を撮っています。
編集者
ナゾロジー 編集部

