【大江戸怪奇譚2】
時代が安定して人口が増え、人々の活動範囲が広まった江戸時代は、実はUMA(未確認生物)の目撃例が激増した時代でもあった。江戸時代に記された書物を手掛かりに、この時代に出現したUMAの情報を紹介する。
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仙台・伊達藩を襲った大騒動
河童は水棲UMAの代表格というべき生き物だ。全国的に生息しているため、河太郎、ガタロウ、カワランベ、カワッパ、水虎などさまざまな呼称がある。各地の伝承によって特徴は異なるが、
①頭の上に水をたたえる皿がある
②背中に甲羅がある
③手足には水かきがあり、水中を巧みに泳ぐ
④子どもの姿をして、尖ったくちばしがある
という4点はほぼ共通している。異種生物にもかかわらず、人間の女性と情を交わすこともあったらしく、柳田国男の『遠野物語』には、河童の子どもを生んだ事例が採録されている。
江戸時代の河童譚に関しては、『耳袋』と『甲子夜話』の記述を紹介しよう。前者は江戸南町奉行をつとめた根岸鎮衛、後者は長崎平戸藩主の松浦静山の手になる随筆集である。まずは『耳袋』の中から、塩漬けにされた河童の遺骸の話を紹介しよう。
話は江戸北町奉行・曲渕景漸が、たまたま根岸鎮衛の家を訪問していたときに始まる。根岸邸に勘定奉行の松本秀持がやってきた。何やら河童の絵を抱えている。聞けば、仙台藩伊達家で起こった河童騒動の当事者から聞いた話を参考し、自身で描いた絵だという。
仙台藩伊達家の河童騒動とは、仙台河岸にある伊達藩蔵屋敷内で、子どもの水死が相次いだ事案をいう。当初は投身自殺かと思われたが、全員に自殺の動機が見当たらなかった。
訝いぶかしく思った蔵屋敷では、天明元年(1781年)8月に調査に乗り出し、まず堀に流れ込む水をせき止めて、溜まった堀の水を掻い出した。すると泥水の中を素早く動く影が見えたので、鉄砲で撃って動きを止め、引き上げてみると河童だった。この河童はうち殺されて塩漬けにされたという。
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弁慶堀では人を引きずり込む怪現象が…
絵を見つつ騒動の話をすると、一緒に聞いていた曲渕景漸は「この絵は、自分が昔見た河童の絵と違わぬ」と声を潜めて口にした。
それにしても江戸の政治経済治安を統べる南北町奉行と、幕府財政の責任者たる勘定奉行が一堂に会し、河童のことを真剣に話している絵面を想像すると、かなりのインパクトがある。
続いて『甲子夜話』から、河童に殺されそうになった中間(武家奉公人)の話をしよう。くだんの中間は、弁慶堀(現在の千代田区から港区にわたってある外堀。赤坂見附近くでは池になっており、23区内でも有数の釣り場となっている)で難に遭った。
夜半どきに、堀に沿って歩いていたところ、堀の中から自分を呼ぶ声がし、手が突き出ているのが見えた。
「これは顔見知りの子が堀に落ち、自分に助けを求めているに違いない」と考えた中間がとっさに手を差し伸べると、その手は万力のような力で手を握り返し、池に引きずり込もうとした。危険を感じた中間は必死で手を振りほどき、屋敷に逃げ帰った。
異常体験に茫然自失の中間は、身体から想像できない生臭さを放っており、正気に戻るまでに4~5日かかった。屋敷の人々は「定めし河太郎の仕業だろう」と噂しあった。
以上だが、ツチノコと河童は現在でも、しばしば目撃例が報告されている。また、ここに取り上げた以外では、龍、天狗、大蛇もしばしば話題に上ることがある。これらは明治維新以後の激動を生き抜いた江戸UMAと定義して良かろう。
【大江戸怪奇譚3】へ続く
週刊実話増刊『未確認生物UMAの秘密』より一部抜粋
