作家の北原みのりさんが、「キモい」というのは、売春を持ちかけられるなど年上の男性たちから性的な眼差しを向けられたときに女性たちが働かせるセンサーのようなものだと書いたところ、「差別用語がセンサーかよ?」と批判が殺到したという。蔓延する「キモい」表現を男性はどうとらえるべきなのか。
書籍『名著でひらく男性学』より一部を抜粋・再構成し、男性は「キモい」をどこまで受け入れるべきなのかを考察する。
杉田俊介(すぎた しゅんすけ)1975年生まれ。批評家。『非モテの品格』『マジョリティ男性にとってまっとうさとは何か』ほか著書多数。
西井開(にしい かい)臨床社会学研究者、一般社団法人UNLEARN理事。著書に『「非モテ」からはじめる男性学』がある。
川口遼(かわぐち りょう)社会学修士。一橋大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。共著に『私たちの「戦う姫、働く少女」』など。
天野諭(あまの さとる)保育士。立命館大学大学院人間科学研究科博士後期課程在学中。著書に『保育はジェンダーを語らない』がある。
「キモい」問題をどう考える?
杉田 「キモいオジサン」問題はどうですか。これは僕は、まだどう考えていいかわからないという感じで……。仕方がないとしか言いようがないという気持ちもある一方、ちょっと雑じゃないかと感じるところもあったり。どうでしょう。
川口 僕がこの問題を認識したのは、作家の北原みのりさんが書いた記事がきっかけです。北原さんは、「キモい」というのは、売春を持ちかけられるなど年上の男性たちから性的な眼差しを向けられたときに女性たちが働かせるセンサーのようなものだ、と書いているんですね。
例えば、貧困とか、家庭に居場所がないとか、虐待を受けているとか、さまざまな事情から売春をしている女性たちがいたとして、オジサンがその事情につけ込むさまは「キモい」と言われるだろうな、と思ってしまうところもあります。
私自身オジサンの一員でもあるので、それくらいは(キモいと言われてもいいという意味で)引き受けてほしかったな、というか。
杉田 職場などでも、中高年男性たちは周りに若い女性がいることを無意識に期待する、という空気がありますよね。テレビ番組でも、何というか、女性アナウンサーの存在自体が中高年男性を心理的にも性的にもケアする、そうした役割をひそかに期待されている、という雰囲気があったり。「空気のような性的ケアの期待」みたいなものを感じて、それはかなり気持ち悪い。
おじさんへの「キモい」を男の子に当てはめていいのか?
天野 「キモい」が女性自身を守るセンサーだということに対して、「差別用語がセンサーかよ?」みたいな感じで批判も殺到したと記憶しています。
ですが、確かに川口さんがおっしゃる通り、特定の行為がその「キモさ」を生む文脈では、一部どうしても引き受けなければいけないところはあるのかなと納得しました。
先日、ハラスメントについての授業をしていたときに、女子学生が中学校時代のプールの授業での体験談を話してくれたんです。女性用の水着って背中が大きく開いているじゃないですか。あそこを突然、中年の男性教諭に指でなぞられたというんですね。
彼女がそのエピソードを話したら、教室中のみんなが「キモーい!」「ぎゃー!」という感じになったんです。この文脈だったら確かに「キモい」って言われることは引き受けなければいけない。
オジサンに限った話でもなく、相手が誰であれ、不意の身体接触は警戒される。この感覚は、男女関係なく共有しておくべきだし、「キモい」がセンサーとして働いていると言う北原さんの説もわからなくはない。
ただ、中年のオジサンは一律にみんな「キモい」というバイアスが入っているようなところもあり、男性の総体としてはそれを申し訳なく引き受ける必要はないのかもしれない。
実際に教室でその話を聞いた私や他の学生たちは、その男性教諭を知らないけれども、その行為とオジサンの中年らしい容姿をなんとなく掛け合わせて、勝手に想像しながら「キモい」と思ってしまうわけです。この雑多なイメージだけで「キモい」という言葉が発せられ、カジュアルに「キモいオジサン」と決めつけられることがまかり通るのは不適切だと言いたい。
「キモい」は、実践的には危険をキャッチするセンサーだとしても、主語の大きい抽象化された文脈では偏見にもなり得る。個人の感じる不快感を否定することはできないけど、直接的な被害を受けていないのに、その感情を一方的に誰かにぶつけていいわけではないはずです。
その一方で、その言葉が小さな男の子たちに向けられた場合、どういう影響があるのだろうということも考えます。これは僕の子ども時代の体験にもあるんですけど、「男子キモい」みたいなことを軽々しく冗談で言うでしょう。僕はこの言葉に結構傷ついてきたし、「自分はキモいのか?」という悩みもずっとありました。こんな体験を今の男の子たちにはさせたくないなと僕は思っています。
10年ほど前の出来事ですが、3歳になったばかりの女の子が、ある日突然、「男子キモーい」という言葉を覚えて、笑顔で楽しそうに使うようになったんです。
3歳児ですから、北原さんが論じた身を守るセンサーのような意味合いはまだないはずですし、実際に男子からその子に対する具体的な接触や侵害行為もありませんでした。
この子自身は、この言葉の差別的な意味合いになど気づいてなかったと思いますが、いつの間にか周囲の大人たちから「キモい」を輸入して無邪気に遊びの中で活用しているわけです。僕は、この女の子も差別者にしたくない。「男子キモい」って、最初から原罪的じゃないですか。
それが幼い子どもたちの間で再生産されることには、反対です。SNSでは「キモい」がカジュアルに使われて、酷い話ですが、その中には乳幼児期の男の子たちまでをも「加害幼虫」などとヘイトする表現も飛び出しました。こうした主語の大きさも、「雑」に「キモい」を増幅させている要因だと思います。

