
『千と千尋の神隠し』静止画より (C)2001 Hayao Miyazaki/Studio Ghibli, NDDTM
【画像】千尋たちが迷い込んだ街→よく見ると… 「人肉」とウワサもある恐怖の食事シーンを見る(3枚)
石人はカエルに変身して水を吐く予定だった?
2026年1月2日に「金曜ロードショー」で『千と千尋の神隠し』(監督:宮崎駿)が放送されました。お正月休みに、家族と一緒に観たという人も多かったのではないでしょうか。この『千と千尋』という作品の大枠は主人公である「千尋」の成長物語でありながら、全体としては日本古来の八百万の神々が、ひとつ大きなモチーフとして呈示されています。
このことから、公開当初から現在に至るまで、民俗学的なアプローチで本作の読解を試みる評論が数多く書かれてきています。それだけ「謎」の内包量が多いのもまた『千と千尋』の特徴のひとつといえるでしょう。専門性の高い読解は学術分野の諸先生に譲るとして、本記事においては次の、極めて素朴な疑問の答えを探りたいと思います。
「最初の方に出てくる石像って何だったのか?」
物語の冒頭、父の運転する車の窓から見えたあの石の像です。不適な笑いを浮かべた石のダルマのような像が、強烈なインパクトを残します。『千と千尋』の劇場公開前の予告編でも、この石像との邂逅シーンが印象的に挿入されていました。ところがいざ『千と千尋』の本編に突入すると、別にこの「石像」が動き出したり、何かヒントになったりするわけでもなく、フェードアウトします。一体、あの「石像」は何だったのでしょうか?
幸にして、『千と千尋の神隠し』の絵コンテが公式に発売されています。この絵コンテは、宮崎駿監督自身が描いた下絵、そして随所に演出意図のメモが記されているのです。この絵コンテを羅針盤にして、あの意味深な「石像」の正体に迫っていきましょう。
「絵コンテ」において、まずあの「石像」の名前が明かされています。初登場時は「石像」でしたが、2回目の登場以降は、一貫してこの石像を「石人」と表記しています。この「石人」は、一般的には、主に九州地方の古墳表飾として用いられた石像を指すようですが、『千と千尋』においては、そこまで厳密に定義されていません。
『千と千尋』で「石人」は複数体、存在しています。ひとつ目は車窓から目撃したもの。そしてふたつ目はトンネルの前に車どめとして設置されていました。苔むした両面姿に千尋は思わず恐怖を覚え、トンネルの向こうへと行くのですが……広がる草原にも、何やら耳の生えた石像などが埋没しています。絵コンテを見る限り、なんとそれらもすべて石人で呼称が統一されています。つまり、あの不気味なダルマ型の像は、数ある石人のバリエーションのひとつだったのです。
なお、筆者は「この石人はカエルに変身して、口から水を吐いて川を生み出す予定だった」という説を目にしたことがあります。ここでいう石人が最初のダルマ型の石人を指すのかは不明です。ただし、実際に本編では、カエル型の石像の口から水が出て川となる(であろう)描写がありました。
そして、このカエルの像も絵コンテ内では「カエルの石人」と記されています。あの「ダルマ」も「カエル」も等しく石人として『千と千尋』は扱っているということになります。そういう意味で、石人が川を生み出していたというのは本当のようです。
そして今もなお議論が分かれる有名なラストシーンを見てみましょう。冒頭で千尋が怯えたダルマ型の石人は、トンネルから出ると、顔がなくなっています。本当にただの車どめになっていたのでした。絵コンテを確認してみると……恐ろしいことに、その点にはまったく触れられておりません。最後にして「してやられた」という印象です。
ここまでを整理してみると、あの印象的な「石像」は「石人」という名称であり、ダルマ型の他に耳が生えていたり、カエル型だったり、その姿はさまざまでした。そしてダルマ型の石人がトンネルの前にあったり、カエル型が川を生み出したり、境界線の役割を果たしていることは明確でしょう。(早い話が、道祖神的な役割です)
そういう意味において、帰ってきたら石人の顔がなくなってしまったのは、その境界が消失してしまった、と考えるのが妥当でしょう。はてさて、そう考えると、千尋が神々の世界に入り込んだのは、トンネルに入ってからではなく、車の中で最初の石人を目撃して以降、というようにも考えることができますね。
参考:『千と千尋の神隠し スタジオジブリ絵コンテ全集〈13〉』
