2025年のF1は、レッドブルのマックス・フェルスタッペンの活躍が間違いなくシーズンを面白くした。シーズン前半はマクラーレンのランド・ノリスとオスカー・ピアストリによるタイトル争いが展開され、フェルスタッペンは一時100ポイント以上の差をつけられていたにもかかわらず、最終的にフェルスタッペンはノリスとわずか2点差のランキング2位でシーズンを終えたからだ。世紀の大逆転王座まであと一歩だった。
70年を超えるF1の歴史の中では、劣勢だったドライバーが後半戦に猛追を見せたシーズンがいくつか存在する(ただ、逆転に至ったケースは少ないのだが……)。この70年で年間のレース数やポイントシステム、さらにはドライバーの完走率なども大きく変化しているため、「最もすごかった猛追撃はどれか」について評価するのは非常に難しいが、今回はさまざまな観点で印象的だったシーズンを、2025年含め8つピックアップした。
1964年:ジョン・サーティース vs グラハム・ヒル vs ジム・クラーク
ポイントシステム:9-6-4-3-2-1(10戦中6戦有効)
レース数:10戦
最大点差:20(クラーク30:サーティース10 第5戦終了時)
最小点差:−1(サーティース40:ヒル39 最終戦終了時)
チャンピオン:ジョン・サーティース
1964年シーズンの前半戦は、ディフェンディングチャンピオンであるロータスのクラークが5戦3勝と圧倒。しかし後半5戦は全てのレースでトラブルに見舞われ、最終戦でもトップを快走しながら最終盤のオイル漏れに泣いて5位に終わった。
一方フェラーリのサーティースは、前半戦終了時点でポイントリーダーに対して最大で20点(優勝2.22回分)の差をつけられていたものの、後半にポイントを積み上げた。最終戦を迎えた時点ではBRMのヒルがランキングトップであり、サーティース、クラークの三つ巴となったが、サーティースはクラークのトラブル、そしてチームメイトのロレンツォ・バンディーニのアシストもあり2位でフィニッシュ。ヒルを1点差で逆転してタイトルを勝ち取った。
1970年:ヨッヘン・リント vs ジャッキー・イクス
ポイントシステム:9-6-4-3-2-1
レース数:13戦
最大点差:35(リント45:イクス10 第8戦終了時)
最小点差:5(リント45:イクス40 最終戦終了時)
チャンピオン:ヨッヘン・リント
1970年シーズンがこのような猛追撃となったのは、シーズンを圧倒的な強さで席巻していたロータスのリントが第10戦イタリアGPで事故死したから。そのため、本稿で紹介している他のシーズンとは事情が異なる。
第8戦ドイツGPでリントが5勝目を挙げた時、フェラーリのイクスはそこから35ポイント(優勝3.88回分)も離されており、ランキングも7番手だった。しかしイクスはそこから残る5レースで3勝を記録。シーズン途中にF1デビューを果たした新人チームメイト、クレイ・レガッツォーニと共に終盤戦の主役となったが、亡きリントのポイントには追いつくことができなかった。
1976年:ジェームス・ハント vs ニキ・ラウダ
ポイントシステム:9-6-4-3-2-1
レース数:16戦
最大点差:35(ラウダ61:ハント26 第9戦終了時)
最小点差:−1(ハント69:ラウダ68 最終戦終了時)
チャンピオン:ジェームス・ハント
1976年のラウダ対ハントのタイトル争いは、後に映画化もされるなどF1史に残る名バトルとなった。
前半戦はフェラーリのラウダが圧倒していたため、マクラーレンのハントは最大35ポイント(優勝3.88回分)の差をつけられたが、後半から猛追開始。第10戦ドイツGPでラウダが炎上事故により瀕死の重傷を負うと、彼が負傷欠場している間に点差を縮めた。
ラウダはわずか2戦の欠場で復帰したが、ハントの勢いは止められず、リードが3点まで縮まった状態で富士スピードウェイでの最終戦を迎えた。天候不良のレースでラウダは途中棄権を選択し、3位に入ったハントが大逆転で王座を手にした。
1994年:ミハエル・シューマッハー vs デイモン・ヒル
ポイントシステム:10-6-4-3-2-1
レース数:16戦
最大点差:37(シューマッハー66:ヒル29 第7戦終了時)
最小点差:1(シューマッハー76:ヒル75 第13戦終了時)
チャンピオン:ミハエル・シューマッハー
1994年シーズンは、ベネトンのシューマッハーが開幕7戦6勝を記録。唯一優勝を逃したスペインGPも、レースの大半で5速しか使えない状態での2位であり、まさに敵なしであった。
しかし、第11戦ベルギーGPでトップチェッカーを受けたシューマッハーがスキッドブロックの違反で失格となり、さらには既に執行猶予となっていた2戦出場停止処分が適用されることになってしまった。この間にヒルは3連勝を挙げ、一気に1点差まで追いついた。しかし最終戦では物議を醸す接触により両者リタイアとなり、ヒルの逆転は叶わなかった。
2006年:フェルナンド・アロンソ vs ミハエル・シューマッハー
ポイントシステム:10-8-6-5-4-3-2-1
レース数:18戦
最大点差:25(アロンソ84:シューマッハー59 第9戦終了時)
最小点差:0(アロンソ116:シューマッハー116 第16戦終了時)
チャンピオン:フェルナンド・アロンソ
ルノーのアロンソとフェラーリのシューマッハーによるタイトル争いは、グラフを見る限りはこれまでのシーズンと比べると急激な猛追には見えないが、これはレース数の多さや完走率の高さも影響しており、実際には後半戦のシューマッハーの勢いは凄まじかった。
開幕9戦で優勝6回2位3回と圧倒的な強さを見せていたアロンソだったが、第10戦アメリカGPからはシューマッハーが7戦5勝。マスダンパー禁止の影響も受けたルノーはやや劣勢となっており、第16戦中国GPで両者はついに同点となった。しかし第17戦日本GPではシューマッハーがトップ走行中にエンジントラブルに見舞われリタイア。これが事実上タイトル争いの決定打となった。
2007年:キミ・ライコネン vs ルイス・ハミルトン vs フェルナンド・アロンソ
ポイントシステム:10-8-6-5-4-3-2-1
レース数:17戦
最大点差:26(ハミルトン58:ライコネン32 第7戦終了時)
最小点差:−1(ライコネン110:ハミルトン109 最終戦終了時)
チャンピオン:キミ・ライコネン
2007年シーズンはマクラーレンの新人ハミルトンが開幕から9戦連続表彰台という驚異のパフォーマンスで、チームメイトのアロンソを抑えて選手権をリードした。
フェラーリのライコネンは最大点差26、残り2戦となった段階でも17点の大差をつけられていたが、ハミルトンは中国GPでピットレーン入口のグラベルの餌食になりリタイア、最終戦ブラジルGPはトラブルもあり7位と大ブレーキ。この両レースで勝利したライコネンが1点差でチャンピオンとなった。
2009年:ジェンソン・バトン vs セバスチャン・ベッテル
ポイントシステム:10-8-6-5-4-3-2-1
レース数:17戦
最大点差:32(バトン61:ベッテル29 第7戦終了時)
最小点差:11(バトン95:ベッテル84 最終戦終了時)
チャンピオン:ジェンソン・バトン
2009年シーズンは、開幕から7戦6勝を記録したブラウンGPのバトンがそれ以降嘘のように勝てなくなり、表彰台すらままならなくなったという点で、後半戦にライバルの猛追を許したシーズンと言える。
しかしながら、バトンが勝てなかった後半の10レースは5人のドライバーで勝ち星を分け合ってしまったため、結局誰もバトンに追いつくことができなかった。レッドブルのベッテルはその間3勝を挙げたが、11点差のランキング2位でシーズンを終えた。
2025年:ランド・ノリス vs オスカー・ピアストリ vs マックス・フェルスタッペン
ポイントシステム:25-18-15-12-10-8-6-4-2-1
レース数:24戦
最大点差:104(ピアストリ324:フェルスタッペン230 第15戦終了時)
最小点差:2(ノリス423:フェルスタッペン421 最終戦終了時)
チャンピオン:ランド・ノリス
2025年のフェルスタッペンは、優勝4回分以上という大差をつけられながらも最終的には2点差まで詰め寄ったという点で歴史的だと言える。もちろん、追い付くまでには10戦近くの猶予があり、その中でスプリントも3戦あったという点は考慮する必要がある。
しかし全車完走も珍しいことではなくなった現代において、これほどの点差をひっくり返す寸前であったことは特筆すべきだと言える。フェルスタッペンは後半10戦において、獲得可能な最大ポイントの85%を回収しており、マクラーレン勢の取りこぼしを抜きにしても猛烈な追い上げであった。

