それでも私たちは共存を選べるのか

違いの認知が闘争を引き起こすならば、人類は無限に戦い続けなければならないのでしょうか?
半分は、その通りと言えるでしょう。
人類の自分と他者を区別する能力をのものが、既に闘争の下地を作り上げているからです。
しかし、闘争と同じように、人類は他者との協力を続ける本能も備わっています。
自己と他者を意識する認知は、闘争だけでなく他者と協力し合うための「必要条件」にもなっているからです。
実際、もし違いの認識が闘争しか生まないのならば、人類はとっくの昔に、1種類の人種、1種類の民族、1種類の国家しか生き残らないようになっていたでしょう。
他者との協力を必要とする同盟、連合、連邦、国連、二重帝国といった概念も存在しなかったはずです。
しかし、そうはなりませんでした。
現在の地球上には180カ国以上の国が存在し、無数の言語を話す人々で溢れています。
違う部分を認知して殺し合うよりも、同じ部分をみつけて協力するほうが最終出力が高かったからです(Tomasello (2009) 、Bowles & Gintis (2003))。
そして、違う相手からは違う利益が得られることを知れたのも大きなポイントとなったに違いありません。
(※利己的に考えるならば、他者を根絶やしにするよりも、他者を利用したほうがいいことに気付いた……とも言えます)
違いを認識し闘争を引き起こす本能と、違いから利益を得る知恵。
それらは、まるでコインの裏表のように、私たちの中に同居しています。
必然として備わっているこの本能を変えることはできなくとも、その反応や活かし方を変えることは可能です。
この先も、私たちの社会はさまざまな価値観や国籍、文化が入り交じり、かつてないほどの多様性を迎えるでしょう。
闘争か共存か、最終的にどちらを選ぶのかは、その時々の経済・政治・社会情勢の影響も受けつつ、やはり私たちの意志にかかっているのです。
元論文
The neural substrates of in-group bias: A functional magnetic resonance imaging investigation.
https://doi.org/10.1111/j.1467-9280.2008.02214.x
Intergroup schadenfreude: Motivating participation in collective violence.
https://doi.org/10.1016/j.cobeha.2014.12.007
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部

