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『豊臣兄弟!』実は秀吉は「サル」とは呼ばれてなかった? 今のイメージは「本人の戦略」だったかも

『豊臣兄弟!』実は秀吉は「サル」とは呼ばれてなかった? 今のイメージは「本人の戦略」だったかも


「豊臣兄弟! 前編 NHK大河ドラマ・ガイド」(NHK出版)

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「猿」は「神の使い」?

 1月4日にスタートした大河ドラマ『豊臣兄弟!』は、天下人・豊臣秀吉と彼を補佐した弟・秀長の物語です。実直で調整能力抜群な秀長を仲野太賀さん、陽気だけれど残虐な面も持つ秀吉を池松壮亮さんが好演しています。

 秀吉といえば、「サル」という愛称で知られています。『豊臣兄弟!』の第1話でも、秀吉(このときは木下藤吉郎)が「サル」と呼ばれていました。姉の「とも(演:宮澤エマ)」が「サルはとっとと山へ帰れ!」と罵倒すると、藤吉郎は「昔、世話になったサルめでござる」とサルの真似をしています。「織田信長(演:小栗旬)」も、藤吉郎を「サル」と呼んでいました。

 秀吉が「サル」と呼ばれていたのは、風貌が猿に似ていたからだと言われています。しかし、歴史学者の呉座勇一氏は、秀吉の見た目が猿に似ていたとされていることについて、「信頼できる史料によって明確に裏付けられるわけではない」と指摘しています。

 朝鮮の儒者である姜沆が著した『看羊録』には、秀吉が猿のようだったので「猿」が幼名だったと記されていました。また、江戸時代に編まれた秀吉の伝記『太閤素生記』には、秀吉の見た目が「猿」に似ていたことが書かれています。ただし、いずれも秀吉を間近で見た人物による書物ではありません。

 秀吉の同時代人で、毛利家の家臣である玉木吉保の自叙伝『身自鏡』には、実際に見た秀吉を「猿まなこ」と形容していますが、これは「猿のように赤い目」というだけで、猿顔という意味ではありません。

 なお、秀吉のことを「禿鼠(はげねずみ)」と表現した織田信長の書状が有名ですが、呉座氏は「(書状は)後世の創作の可能性が指摘されている」としており、「秀吉の容貌を伝える史料としては確実性を欠く」としていました。

 呉座氏は、秀吉と「猿」の関連は、秀吉の「イメージ戦略」によるものではないかと考察しています。秀吉は諸外国への書状で、自らを「日輪の子」と名乗っていました。

 江戸時代の『甫庵太閤記』には、秀吉の母が体内に日輪(太陽)を入れる夢を見て妊娠したというエピソードが記されていますが、これも秀吉の自らを権威付けるイメージ戦略と関わっています。このような伝説は、東アジアに広く伝わるものです。

 秀吉は自らの出生を、「日吉山王権現(滋賀県の日吉大社)」と結びつけていました。日吉信仰では猿が「神の使い」とされており、そのイメージを秀吉が借りたのでしょう。「太陽の子」という意味を持つ「日吉丸」という幼名も、創作だと見られています。

 秀吉の見た目が貧相だったのは間違いなさそうですが、秀吉は自分の見た目を利用して「猿」のイメージを作り上げていき、それが後世に伝わったと考えていいでしょう。猿の持つ俊敏なイメージも、貧民から大出世を遂げた秀吉の非凡さと重ねて見られていました。

 すなわち、史実では幼い頃から秀吉の外見が猿に似ていたとは言い切れず、周囲から「サル」と呼ばれていたわけでもないのです。

『豊臣兄弟!』の第1話のサブタイトルは「二匹の猿」であり、オープニングのアニメーションでは秀吉だけでなく秀長も猿として描かれていました。これは見た目のことではなく、猿のように機敏で非凡なふたりの兄弟が、「神の使い」のような存在である天下人に出世していくことが示唆されているのでしょう。

参考:日吉大社公式ホームページ、呉座勇一『真説 豊臣秀吉とその一族』幻冬舎新書

配信元: マグミクス

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