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スキー歴ゼロから3年4ヵ月で中国オリンピック選手にした剛腕コーチ・白川大助(しらかわだいすけ)その挑戦に見える別世界

その手にかかれば、よちよちのボーゲンが巨大キッカーでの900に変わり、スキー歴ゼロの子どもがオリンピアになる。それもたった3年4ヵ月で。中国に渡り、北京五輪で中国ナショナルチームを率いた日本人コーチ白川大助。その挑戦を通じて見えた知られざる別世界。

そのルーツ

白川大助(しらかわだいすけ)ほど、「アノ人はいま?」といったフレーズがはまるパーソンもいない。日本に「スキーボード」なるショートスキーがUSAから入ってきた1990年代後半、時を同じくしてフリースキーのムーブメントが世界的に爆発した頃、白川大助は間違いなくシーンの真ん中にいた。

フリーライドのアイコンともいわれてきたLINEがUSAで立ち上がり、ほどなくしてフランスのSALOMONから伝説のツインチップスキー「Teneighty(テンエイティ)」がグローバルリリースされた頃だ。

白川大助は、学生時代に基礎スキー部に所属し、卒業後は苗場の藤島スキースクールで4シーズン、インストラクターとして勤務。その後、HAKUBA47でモーグルスクールのコーチを務めていたとき、当時ファンスキーと呼ばれていたスキーボードに出会った。

LINE創始者Jason LevinthalとライダーのMike Nickと@Stratton,USA

「白馬で、これから日本にスキーボードを入れようって仕掛けをしていたメーカーの人からLINEの創業者のジェイソン・レヴィンソルやライダーのマイク・ニックが作っていた『SB1』ってスキーボードのビデオを見せられて衝撃を受けた。やべぇカッコいいって。それですっかりハマちゃって、スクールを辞めて、LINEチームが拠点にしていたUSAバーモント州のストラットンに飛んだ。

2ヵ月くらいジェイソンやマイクと一緒に滑って、テクニックやカルチャー、いろいろ教えてもらってすごく刺激的だった。アメリカのスキーボードを日本に伝えなきゃって思った。

それで、帰国して、日本で初めてスキーボードのHOWTOビデオ「ファンスキーリアルライディング」を作った。これが1万本以上売れて、その後「痛快ファンスキーの楽しみ方」っていうハウツー本をつくったら、これもヒット作品になって。これらのおかげで白川大助っていう存在を、スキー業界に知ってもらうことになりました」

白川塾と世界

この頃に出版されたスキーボード雑誌だ。「日本でいちばんスキーボードのことを考えているひと」と書かれている。

「やる前からあきらめてちゃ夢は叶わない。現実ばかり見過ぎると楽しくなくなるっしょ」

この頃、白川大助が描いていた「夢」は何だったろう。
「世界」に違いない。

「はじめはスキーボードのビデオを制作するために出演してくれるメンバーの集まりだったけど、だんだんチームのようになって、メンバーが大会にエントリーするのに所属チーム名を書かなくちゃいけないってことで、適当に白川塾と書いた。ここからいつの間にか「白川塾」になったんです。僕がつけたわけじゃないんです(笑)」

昔からフリースキーは自由とルーズが専売特許で、当時のライダーたちは「クール」や「スタイル」を合言葉に、好き勝手やるのがカルチャーだといわんばかりの動きをしていた。そんななか「世界を目指して懸命に練習する、本当に塾みたいな道場」だった白川塾は、どこか異質な存在と思われていただろう。

しかし、白川大助はリーダーとしての才覚と指導者としての能力を、この当時から発揮していたのだ。その頭のなかには常に「世界に行く人材を育てる」意識があった。

2009年、苗場で開催されたCANADA CUPで優勝し、4月にウィスラーで開催されたWSSFに招待された長田慎二は、白川塾生。ビックエアでなんと世界チャンピオンに輝いた。その実績が評価されたか、白川は2009 年~2016年まで 全日本ナショナルチームコーチに就任、まさに世界で戦うアスリートを最前線で育てる役割を担うようになった。

2014年のソチ オリンピックでは、スロープスタイルには白川塾メンバーの津田健太朗(現ナショナルチー ムヘッドコーチ)と高尾千穂(北京五輪ジャッジ)が日本代表として出場。コーチとしての実績を積み上げていったものの、一方で何かしっくりこないものを感じるようになった。

配信元: STEEP

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