「日本でずっとやってても…」から中国へ

「オリンピックに参加して、現場をこの目で見たときに、やっぱりオリンピックで勝つには、多くの国が巨額の資金をかけて選手を育成しているように、国レベルで本気で取り組まないと無理なんだろうなって。だから、選手が自費で活動せざるを得ない実情の日本でずっとやっててもしょうがないなって思うようになったんです。正直、ナショナルチームの給料が安すぎたことも、『もういいかな』と思った理由の一つでしたね(笑)。
2018年の平昌五輪の数ヶ月前に近藤隊長(白馬の近藤真)から北京でエアマットを作るから作ったから、そのオープニングショーに白川塾で来てもらいたいって誘われたんです。近藤隊長は、2000年頃とか、ずっと以前から中国のスキー場でモーグルコースやパーク造成に関わったりしていたんですよね。それが僕が初めて中国に入ったキッカケだったんです」
ときはまさしく2022年の北京五輪の開催が決まった頃だった。日本のナショナルチームやプライベートチームを辞め、中国国家チームの監督になるために行動を起こしたのだ。
「北京五輪も決まったから、中国はいまたくさんチームを作っているので、それだけ日本のナショナルチームで長い指導経験があれば、チームを作らせてもらえるかもしれない、みたいな話をくれた人がいた。自分でも中国に足を運んで、いろんな人に会ってみたんです。そして中国の体育局、日本でいう SAJ なんですけど、そこに強いエージェントに繫がって、結果チームが作れることになったんです」
チームが作れるとは一体どういったことだろう?
「すでにナショナルチームにはAとBの2つのチームがあった。けれど層を厚くするためさらにCチームもあっていい、ということで、3番目のチームをゼロから作ることになったんです。最初400人ぐらいの子供たちを室内スキー場でオーディションして、体操はやっていたけどスキーはしたことないような子たちの中から20人ぐらいピックアップして、で、さらに少林寺で少林寺拳法をやっている子500人くらいから4人ほど選抜して、総勢28人でスタートしたのかな。本格的に動き出したのは2018年の10月でした」

あまりにも下手すぎるナショナルチーム
中国の3番目のフリースタイルチームの監督に就任した白川大助。中国の中央政府と契約を結び、政府の傘下で国の名誉のために働くことを決意した。与えられたミッションは、北京オリンピックに出場できる選手を育てること。
「スキー経験ゼロの子どもたちを4年後の北京オリンピックで活躍させるだなんて、無謀な挑戦だと思いますよね。周りのたくさんの人に無理と言われて(笑)、だからなおさら成功させたい強い気持ちで中国に行きました。
でも、Cチームがスタートした頃の映像を見たら驚きますよ。もう笑っちゃいます。あまりにも下手すぎて。本当こんなんでオリンピック選手出せんの?みたいなレベルです。スキーやったことない子が半分以上いて、ブーツの履き方も知らなくて左右反対に履いちゃうくらい(笑)。
なので、まずは目指すレベルはここなんだ、と理解させるために、チームを結成して2ヵ月後の12月に、日本から近藤隊長と日本の女子トップの心音の親子にわざわざ来てもらったんです。
デカいキッカーで当たり前にグルグル回っている心音を見せて、この子に勝てれば、もしくは、この子ぐらいになれればワールドカップで活躍できるんだよって、話ました。逆に言えば、これをやらなければ、お前たちはここにいられないんだよっていう感じで始まったんですよ(笑)」
