
カナダのアルバータ大学(UofA)で行われた研究によって、カタツムリの休眠中に主に現れる不思議な「冬眠因子」を人工合成し、マウスの取り出した心臓に与えたところ、冬眠しないはずのマウスの心臓を冬眠モードにすることに成功しました。
研究ではマウスの心臓を摘出して一時的に血流を止めるなど過酷な処置が行われましたが、カタツムリの「冬眠因子」を与えた心臓では心臓は拍動や機能の回復が速く、ダメージも小さく抑えられたのです。
この研究成果は冬眠動物だけが持つと考えられていた不思議な耐久力の一部が、遺伝要因だけではなく抽出可能な物質として人工合成しうることを示唆する有望な結果です。
研究者たちはまず臓器移植の際の臓器のダメージ軽減への応用を構想しつつ、将来の人工冬眠のような使い方への可能性についても述べています。
研究内容の詳細は2026年1月9日に『bioRxiv』にて発表されました。
目次
- カタツムリの血から休眠因子を探し出す
- カタツムリの冬眠因子を合成したら、心臓が守られた
- カタツムリの血と人工冬眠や移植臓器保存
カタツムリの血から休眠因子を探し出す

冬になるとクマは眠りにつき、リスは巣ごもりします。
動物の冬眠は、寒さや食糧不足を生き延びるための不思議なサバイバル術です。
呼吸や心拍を極限まで落として休み続けても、冬眠する生き物の体は平気な顔で春を待ちます。
例えば小さな冬眠哺乳類は、心臓の鼓動が1分間に数回になるほど低下しても元気なままで、飢えや酸欠にも驚くほど強いのです。
昔から研究者たちは、「冬眠や夏眠のとき、脳や体が“休め”の合図を出して全身を休眠モードに切り替えているのではないか」と考えてきました。
この研究チームはこの謎の合図役を休眠誘導因子(DIF)と呼び、その正体を追い続けてきました。
しかし、その「休眠の合図を送るもの」がどんな化学物質なのか、長いあいだ誰にもわかっていませんでした。
そこに登場するのが、小さなカタツムリです。
カタツムリは寒さだけでなく、乾燥や高温でも「夏眠(かみん)」という休眠を行います。
殻にふたをしてじっと動かず、過酷な環境をやり過ごすことが知られています。
数カ月ものあいだ「サボって」過ごせるこの習性は、一見地味ですが立派な冬眠術と言えるでしょう。
しかもカタツムリの体は小さいので、血液を採って「冬眠中だけ増える物質」を探しやすいという利点もあります。
(※少なくとも冬眠中のクマの巣穴に入り込んで採血するよりは安全です)
もし、冬眠カタツムリの血から「休眠スイッチ分子」を取り出し人工的に合成したり、それを他のマウスなどの生物にも効果があるかを試せるなら、冬眠研究は大きく前進するでしょう。
カタツムリの血に流れる休眠因子はどんなものなのか?
そしてそれは種を超えて効果を与えることができるのでしょうか?
カタツムリの冬眠因子を合成したら、心臓が守られた

研究チームはまず、休眠中のカタツムリに特に多く現れる物質を探しました。
カタツムリを夏眠状態にして組織や血液を詳しく分析したところ、休眠中の個体に特徴的に多く含まれている小さな分子を発見します。
それを起きている別のカタツムリに注射すると、驚くべきことに、注射を受けたカタツムリの多くが、ほどなくして殻の口に膜を張り、動かなくなってしまいました。
湿度やエサは十分ある環境なのに、自ら「休眠スイッチ」を入れたかのように冬眠状態になったのです。
この結果は、カタツムリの血液中に「他者を冬眠させる物質」が巡っている証拠です。
研究者たちは次に、その正体を分子レベルで突き止めました。
その結果、質量数などから特定された化学式C₁₅H₂₀O₇Sの小さな分子が浮かび上がり研究チームはこの分子を人工合成し「SNAP」と名付けました。
(※SNAPという名前は「Snail Activator of PHLPP1(カタツムリ由来のPHLPP1活性化因子)」の略で、カタツムリと標的酵素の両方をさりげなく埋め込んだ遊び心のある命名です。)
次にこの人工合成されたSNAPの効果を確かめるためカタツムリに注射すると、天然のものと同じような休眠を引き起こすことがわかりました。
つまりカタツムリの冬眠を引き起こす物質は小さな化合物であり、それさえ与えればスイッチを強制的に「オン/オフ」できると示されたのです。
これは冬眠という現象が魔法のような超常現象ではなく、細胞内スイッチで制御できる生理プログラムであることを示しています。
では、このカタツムリ由来の冬眠スイッチ(SNAP)は、冬眠しないマウス、特に常に動いている心臓にも効果があるのでしょうか?
答えを得るため研究者たちは、マウスから心臓を取り出して、一時的に血流を止めてから再開するという過酷な実験を行いました。
SNAPを投与した心臓では驚くほどスムーズに鼓動が回復しました。
通常は血流を再開した直後に心臓が不整脈でうまく拍動できなくなったり、ポンプの勢い(収縮力)が落ちたりします。
しかしSNAPを使った心臓は再灌流後の安定した拍動の回復が明らかに速く、心拍や収縮機能など測定した主な指標が有意に改善しました。
言い換えれば、SNAP投与により心臓が低酸素状態でも「へこたれにくくなる=冬眠動物に近づく」効果が得られたことになります。
細胞内の変化を詳しく調べると、SNAPを使った心臓ではミトコンドリア(細胞内の発電所)が損傷で機能低下するのを防ぎ、ブドウ糖をエネルギーに変える酵素(ピルビン酸デヒドロゲナーゼ)の働きが保たれていました。
その結果、心臓の細胞に有害な活性酸素の発生も抑えられ、乳酸(無酸素状態でたまる老廃物)も少なくて済んでいます。
エネルギー源の使い方にも変化が現れ、通常よりも糖を優先的に燃料にする「省エネ運転」に切り替わっていました(実験では糖を燃やす割合が高まっていました)。
SNAPが作用する仕組み
SNAP(カタツムリの休眠成分の人工合成物)➔細胞のブレーキ役の酵素の活性化(PHLPP1を活性化)➔細胞の成長スイッチをオフ(AKT・S6K1を不活性化)➔細胞の「増えろ」という信号がダウン+食作用による細胞の整理開始➔細胞が一時停止モードに入りストレス耐性がアップ
著者たちは、この燃料の切り替えを冬眠中の心臓に見られる典型的なサインのひとつとして重視しています。
これは冬眠中の動物や低酸素に強い心臓が示す典型的なパターンの一つと考えられていて、SNAPが心筋細胞を冬眠モードへと書き換え、代謝の配線を作り変えたことを示唆します。

