織田信長、豊臣秀吉、徳川家康という戦国の三英傑に引き継がれ、最後は悲劇の武将が所持していた「笛」があることをご存知だろうか。乃可勢、または野風という。乃可勢は竹の節がひとつだけある小さな尺八で、現在も長野県諏訪市の有形文化財に指定され、貞松院(仏教寺院)が所有している。
節には金泥で、織田家の紋である織田瓜と変体仮名による銘が入っており、収納箱には葵の紋と「織田信長自愛のかせ御笛」という文言がある。この乃可勢を引き継いだのが家康の六男・松平忠輝で、家康の形見として忠輝の実母・茶阿局を介して託されたらしい。
この忠輝は家康の実子でありながら、父からは嫌われた人物だったが、それでも越後国高田藩主として、63万石を与えられている。最終的には配流、閉門を含めると、約67年間も幽閉された。日本史上、後醍醐天皇など高貴な身分の人間が幽閉された例はあるが、現代より平均寿命が短い時代に92歳で死去するまで幽閉生活を送った人物は、ほかにいない。
忠輝が幽閉されたのはなぜなのか。大坂冬の陣で江戸留守居役を命じられたことに不満を漏らし、その後に参加した夏の陣では目立った軍功を上げていないことから、家康との面会を禁じられたのがきっかけだったらしい。そのため、家康の今際の際には秀忠や義直ら他の兄弟は呼ばれたが、忠輝だけは無視された。
その後も不遜な態度が問題視され、元和2年(1616年)、秀忠に改易を命じられた。伊勢、飛騨、そして最終的には信濃国・諏訪に流されている。忠輝は独眼竜・伊達政宗の長女・五郎八姫と結婚していたが、その正妻がキリシタンだったことが問題視されたという説もある。
忠輝は死去するまで諏訪に幽閉されたが、いくら愛用の乃可勢があるとはいえ、笛を友に終始監視を受けながら諏訪湖のほとりで年老いていく人生はさぞ寂しく、手持ち無沙汰だったことだろう。
天明2年(1782年)の100回忌、あるいは天保3年(1832年)の150回忌を記念した模造品10本が製作されており、うち1本である「秋声」は本物同様に貞松院に伝えられ、法要などで実用に供されている。
なお、残る9本の所在は不明である。
(道嶋慶)

