「障がい」を武器に。自分の“最適解”をどう見い出すか
中学時代、障がいを武器にしたかったという横山選手。横山選手・森選手ともに、努力を重ね、今では自分なりのプレースタイルと練習方法を確立しています。
森:甲子園で一番印象に残っているプレーは?
横山:準々決勝の横浜戦、初回の守備ですね(※1)。自分が捕っていなかったら相手に先制点を許し、戦況が変わっていた場面。まだ緊張していた投手を助けられて良かったです。
森:あれはすごかったですね! 僕は夏の甲子園が始まる前から横山選手には大注目していました。守備では右手につけたグローブで捕球。そして素早くグローブを外して左脇に抱え、球を“握り替え”して右手でボールを投げる。この一連の動作は甲子園でも話題になりましたね。
横山:あれは外野を始めた中学1年の頃から取り入れました。最初はうまく握り替えができず、捕球後のステップが多くなってしまって。0コンマ何秒でも早く返球できるよう反復練習し、今ではしっかり体に染みついています。
森:打撃では右手1本で振り抜いていたのが印象的です。
横山:振り抜くときは片手ですが、インパクト(バットとボールがぶつかる瞬間)は両手で押し込むようにしています。速球でも左手が押し負けないようにするために練習を重ねました。
誰よりも多く素振りをし、自分のフォームをしっかり固められるように取り組みましたが、やはりスイングの力だけではみんなに勝てないかもしれない。ですから、バットへのボールの乗せ方とか、パワー以外で球を飛ばす技術的な方法などもずっと考えてきました。
ところで、森さんは大学3年でノルディックスキーに初チャレンジして、その後にはカナダでのワールドカップに出場されていますよね。どんな苦労をされたんですか。
森:僕がシットスキー(※2)を始めた頃、日本国内にはシットスキーの競技者がいませんでした。だから、早く国際大会に出て、海外選手の滑走を“生”で観るのが一番勉強になると考えたんです。また、過去のパラリンピックの競技動画を繰り返し見て、あらゆる研究を重ねましたね。
ただ、2022年北京パラリンピックで順位が振るわなかった時「このままではダメだ」と。シットスキーは座り競技なので、それまでの僕は上半身ばかり鍛えていました。しかし、レースの後半でバテてしまってフォームが崩れてくるのは、下半身の強化が足りないということに気づいたんです。
僕は両ひざから10センチ下が欠損していますが、それ以外に使える筋肉を余すことなく100パーセント使うことで、はじめて戦えることに気づきました。そこからの4年間は特にフィジカルトレーニングに注力してきました。
横山:森さんは(2019年に)朝日新聞社に入社してから、今も週5日勤務しながら練習に励んでいると聞きました。
森:はい。パラスキー選手としては珍しいかもしれませんが、ある意味、学校の授業が終わって放課後から練習をする横山選手と一緒です。現在は退勤後、ナショナルトレーニングセンターで毎日4時間ほど練習しています。
練習する上で大切にしているのは、人と比べるのではなく、限られた時間の中でどう成果を出すかという視点。例えば、「今年中にベンチプレスで100キロを挙げる」など、必ず具体的な目標や数値を設定してモチベーションを上げています。
ただし、完璧主義になり過ぎず、良い意味で割り切ることも大事かな、と。柔軟な思考でトレーニングに向き合うようにしています。
※1.初回2アウト2塁の場面、横浜4番打者の痛烈なライト線方向へのライナーをキャッチしたファインプレー。横浜の先制点を阻止した
※2.主に下肢に障がいのある人が、シートにスキー板を固定した専用の競技用具を使って座った状態で滑るスキーのこと
2025年夏の甲子園準決勝で、日大三(日本大学第三高等学校)から2回裏に犠飛を放つ横山選手。伊藤進之介撮影。画像提供:朝日新聞
森選手は国内外のクロスカントリースキーの大会で奮闘を続ける。画像提供:森宏明生きざまが誰かの夢になり「スポーツの力」になる
森:今回の対談の大事なテーマが「スポーツの力」ということなんですが、横山選手にとって、スポーツの力とはどのようなものだと思いますか。
横山:難しいですね……。僕にとって野球は人生そのものです。だから「甲子園を観て感動したよ!」と言われても、自分にとっては当たり前のことをがむしゃらにやってきただけで、人に感動を与えるようなことをしてきたとも思えず(笑)。
ただ、自分が楽しんで野球をやっている姿が、誰かの心を揺さぶることもある、それがスポーツの力なのかなと今は思うようになりました。
森:なるほど、生まれてからずっと障がいとともに生きてきた横山選手にとっては、「障がい」の有無は関係なく、当たり前のように努力を重ねられてきただけですもんね。
一方、事故で足を失ってしまった僕にとって、スポーツの力は障がいをポジティブに変えてくれるもの。特にパラスポーツの選手は、僕と同じように一目で障がいだと分かる人が多く、挫折を乗り越えて今がある人も少なくありません。だからこそ観戦者は、その人の生きざまそのものを見て応援したいという気持ちになり、そこから感動が生まれるのかな、と。
僕自身も、スポーツを続けることができ、応援してくださる人たちに感謝の気持ちを忘れないようにしたいと思っています。
最後に横山選手の今後の目標を聞かせていただけますか。
横山:高校卒業後は岐阜聖徳大学へ進学します。野球はもちろん、商業系の教員免許取得も視野に入れて決めました。しっかり勉強と野球を両立し、野球はできる限り長く、高いレベルを目指せるよう頑張っていきたいです。
森選手の目標はなんですか。
森:僕は2026年パラリンピック冬季でのメダル獲得が目標です。社会人アスリートとして、奮闘する姿を皆さんにお見せしたいですね。
何かやりたいことがあるなら、未経験でも、何歳からでも決して遅いことはない。だからこの記事を読んでいる人には、チャレンジ精神を大切にしてほしいですし、私自身、頑張る人たちの背中を押せるような活動を今後もしていきたいと思います。
初対面にもかかわらず、終始笑顔が絶えなかった横山選手(左)、森選手。遠くない未来での再会を約束した編集後記
障がいのある人でも、その向き合い方や考え方が人それぞれ異なるのだと、取材を通して改めて気づきました。
ただ、共通して言えるのは、スポーツを継続する上で、自分自身と向き合い、「自分らしく」輝けるよう不屈の努力を重ねていること。その生きざまそのものが、私たちに希望と感動を与えてくれます。
この記事が、これから何かにチャレンジしてみようと思っているご本人・ご家族の背中を押すきっかけになれば幸いです。
取材:日本財団ジャーナル
撮影:永西永実
PROFILE 横山温大(よこやま・はると)
2007年7月17日生まれ、岐阜県出身。県立岐阜商業高等学校に在学中。ポジションは外野手、右投左打。生まれつき左手の指がないという障がいを乗り越え、優れた打撃センスと守備力で活躍し、2025年夏の甲子園にも出場。16年ぶりにベスト4入りを果たすという、チームの活躍に貢献した。卒業後は大学へ進学し、野球を継続する予定。
PROFILE 森宏明(もり・ひろあき)
1996年生まれ。東京都出身。高校2年の夏に、交通事故で両足を切断。大学3年生のとき(2017年)、パラノルディックスキーを始める。北京2022冬季パラリンピックに出場。2026年のミラノ・コルティナ冬季パラリンピックも日本代表推薦選手となる。日本財団パラスポーツサポートセンター(パラサポ)が主催する小・中・高・特別支援学校向けの教育プログラム「あすチャレ!ジュニアアカデミー」の講師も務める。
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