元F1ドライバーのジャン・アレジが所有し、1992年に自身がドライブしたフェラーリF92Aが、オークションに出品される。最低落札価格は設定されていないが、5億5000万円〜9億2000万円ほどで落札されると推定されている。
1992年はフェラーリにとって、暗黒時代の中心とも言える年であった。コンストラクターズランキングこそ4位を確保したものの、表彰台はアレジによる2回のみ。しかもいずれも3位が精一杯であった。
アレジはこの年のマシンF92Aを所有していたが、今回オークションに出品することを決めた。アレジによればこのマシンは、自宅に持ち込まれて以降、一度も変更が加えられておらず、セッティングもアレジが乗った時のそのままの状態であるという。
このマシンの出自や愛着についてアレジは、オークションハウス「アールキュリアル」のインタビューに語った。
「このマシンは整備が済んで、フィオラノで2周走っただけでピットに戻り、タイヤを交換してエンジンがまだ暖かい状態でトラックに積み込んだんだ」
そうアレジは語った。
「家に持ち帰ってきてトラックから降ろし、そのまま展示した。それ以来、一度も動かしていない」
フェラーリ在籍時代は、様々な”名と暗”があったと語るアレジ。このF92Aも、シャシーのパフォーマンスは優れていたはずだと、アレジは主張する。
「青春時代、人生における魔法のような時期の思い出なんだ」
「フェラーリのドライバーであるということは、フィオラノ・サーキットでイタリア国内および海外の報道陣の前でマシンが発表されるということを、理解しなければいけない。ベールが外され、マシンが姿を現すんだ」
「ニコラ・ラリーニ、イワン・カペリ、そして私の3人は、組み立てを行なうワークショップで、あらゆる細かい部分をじっくりと観察した。このマシンは、空力面の革新によって歴史に名を残した。他に類を見ない特徴……つまりダブルフロア……フラットフロアを2枚備えていたんだ」
このダブルフロアの効果は絶大だった。しかし他の部分が足を引っ張る格好となり、フェラーリF92Aは期待されたようなパフォーマンスを発揮することができなかった。
「これにより、他よりもはるかに多くのダウンフォースを得られていた。しかし残念ながら、ブローバイと呼ばれる現象が足枷になっていることにシーズン中に気付いた」
「これはピストンが、オイルパンの底にあるオイルをポンプのように押し出してしまう現象だ。これによりパフォーマンスが若干低下するだけでなく、オイルがすぐになくなってエンジンが壊れてしまうんだ」
「それでマシンにふたつ目のオイルタンクが取り付けられた。これは他のチームにとっては謎だったと思う。P-ONという指示を受けると、私はコクピットにあるP-ONボタンを押して、新しいオイルをエンジンに送り込んだんだ」
そんなフェラーリF92Aを入手することになった経緯について、アレジはこう説明した。
「その年の終盤、カペリはチームを離れることになった。そしてその後、ゲルハルト・ベルガーが私のチームメイトになることになった」
「報道陣への発表の仕方から、フェラーリはゼロから再スタートしようとしているという印象を受けた。だってゲルハルト・ベルガーがやってくるんだからね。当時チーム内にはニキ・ラウダもいた。そのニキが私にこう言ってきたんだ。『何か問題があるのか?』とね。それで私は『ああ問題だよ。ゲルハルトがやってくるんだ。あなたたちはいずれもオーストリア人で、彼と君は友人同士だ。それはおかしいよ」
「するとニキは私にこう言ったんだ。『何が欲しいんだ? もっとギャラが欲しいのか?』と。私はそれにこう答えた。『僕が話したいのはそういうことじゃない。敬意の問題なんだ』とね」
「ラウダはそして『問題ない。今夜、社長(ルカ・ディ・モンテゼモロ)に電話してくれ』と言った。ただ社長が先に電話してきて、こう語ってくれた。『ジャン、ニキと話したが心配することはない。我々は君を愛している。問題はない。実はプレゼントがあるんだ。これが君のクルマなんだ』」
「僕はわけが分からず『どういう意味だい?』と尋ねた。すると『エストリル(ポルトガル)から戻ったら、チームに連絡してくれ。私が指示を出しておく。そしてフィオラノでテストをしてくれ。そうすれば、そのマシンは君のものだ』と言われた。そして、そのクルマが今ここにあるんだよ!」
アレジは最後にこう付け加えた。
「何より望むのは、私が愛してきたように、そして今も愛しているように、このクルマがずっと愛され続けることなんだ」
オークションは1月27日、ペニンシュラ・パリを舞台に行なわれる。

