久米宏が亡くなった。
1月13日の「大下容子ワイド!スクランブル」で訃報を知り、思わず「嘘でしょ!」と声が出てしまった。奥さんのコメントを読み上げる大下アナが時折、涙声になっているように感じながら、こちらもつい、もらい泣きしてしまった。
久米宏といえば「ぴったし カン・カン」(TBS系)で、大人気だったコント55号(萩本欽一、坂上二郎)を相手に、テンポよく軽妙に司会をこなすだけでなく、問題の正解部分を伏せる言葉として「ほにゃらら」なる言葉で表現したり…。
さらに「ザ・ベストテン」(TBS系)では本来、歌い手が主役であるはずなのに、まるで久米と黒柳徹子の司会こそが番組のメインであるかのように思わせる、丁々発止のやり取りを見せたり…。
はたまた「久米宏のTVスクランブル」(日本テレビ系)では、昭和の破天荒を絵にかいたような横山やすしを相手に、生放送で猛獣使いのごとくやり合ったり…。
そんな姿を「早口だけど、何を言ってるか伝わってくるし、毒を吐いても笑顔と笑い声で薄めちゃう、なんとも洒落た大人だな」と思いながら楽しく見ていたものだ。
1985年10月7日、のちに「ニュース番組に革命を起こした」と評される「ニュースステーション」(テレビ朝日系)が始まった。当時の私は「ニュースを題材にした久米宏の新しいバラエティー番組」という認識で見ていた。
訃報が伝えられた当日、黒柳徹子はSNSに追悼のコメントをアップしたが、翌1月14日に放送内容を変更して追悼特集を組んだ「徹子の部屋」(テレビ朝日系)では冒頭、喪服の徹子がこう語りかけた。
「こんにちは『徹子の部屋』でございます。本日はこの前、お亡くなりになった久米宏さんの追悼をお送りいたします。私と久米さんは『ザ・ベストテン』以来の親友でした。クールに見えましたけど、実はとってもお優しく、涙もろく、優しい方でした」
普段、「徹子の部屋」で追悼特集を放送する時は大概、故人が過去に出演した回を編集したVTRが流れるだけと記憶している。ところがこの日は、高齢の徹子が短い時間ながらもわざわざ追悼コメントを別撮りしたことだけでも、2人の深い関係性がわかるというものだ。
そして過去の映像を見ていると、改めて久米の話の上手さに感嘆させられた。このご時世、これだけ喋りが上手で引き込まれるような人は、芸人にもタレントにもいない。今のテレビが面白くないのは、彼のような「話すこと」のプロがいなくなってしまったからだと痛感してしまった。
1988年当時43歳の久米が「徹子の部屋」でこんなことを言っている。
「(自分たちの世代の残りの人生は)せいぜい20~30年だ。黒柳さん、もっと少ないかもしんないですけどね。その程度のもんなんだから、その後はテレビを見てる、もっと若い人の責任なんですよ。実際、僕が死んじゃったらどうなってもいいでしょ、もう。祈ってはいますけどね、日本が戦争しないでほしいって。それはもう、僕たちの後の世代が背負うべきことで」
最近の日本の、そして世界の情勢を見てどう思っていることか。「どうなってもいい」と言われるかもしれないけど、喋りの達人の意見を聞いてみたかった。合掌。
(堀江南/テレビソムリエ)

